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9月, 2024の投稿を表示しています

■「勤勉主義」と「寝そべり族」のあいだ

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  石井知章編『ポストコロナにおける中国の労働社会』日本経済評論社   石井知章さま、執筆者の皆様、ご恵存賜り、ありがとうございました。   及川淳子「労働をめぐる社会意識の変化と習近平政権」を興味深く拝読しました。    中国では、大規模な社会統計やアンケート調査に制約があるため、いま中国人がどんな社会意識をもっているのかについて、なかなか知ることができないのですね。 それでも「流行語」を読み解くことで、中国社会の最近の傾向を分析できる。流行語のランキングがあるので、それを頼りに分析できるというのですね。  中国で「 996 」というのは、朝の九時から夜の九時まで、月曜日から土曜日までの六日間働く、という意味です。  「 007 」というのは、零時から零時まで、七日間働く、つまりすべての時間を労働に費やす、という意味です。これは不可能ですけれども、 996 よりも働いている人がいる、ということですね。  「内巻 involution 」という言葉は、私も聞いたことがありましたが、頑張れば頑張るほど、競争がより激化してしまうという、そういう社会状況を表しているのですね。これに対する自己防衛のあり方が、「躺平(とうへい)」と呼ばれるのですね。必死に頑張ることは避けたいけれども、寝そべり族になるのでもない。そこで 45 度の中間を維持したい、というわけですね。  しかし習近平は、「勤勉主義」という経済倫理を掲げています。これは中国では、憲法で定められているのですね。憲法 24 条は、 2018 年に新たに書き換えられました。そこでは「社会主義の核心的価値観」として、   (1) 国家の建設目標としての富強、民主、文明、和諧。 (2) 社会の構築理念としての自由、平等、公正、法治。 (3) 国民の道徳規範としての愛国、敬業、誠信、友善。   これらの価値が掲げられたのですね。ここで「敬業」というのが、日本語の勤勉に当たる言葉です。一生懸命に打ち込む、という意味です。これは社会主義というよりも、道徳国家の思想ですね。  日本はこのような道徳を憲法で明確にして強制することはありませんが、日本の経済成長を支えた倫理も、同じようなものだったのでしょう。日本と中国の経済倫理の違いについて、分析する価値がある

■派遣労働者は自由か

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  大槻奈巳編『派遣労働は自由な働き方なのか』青弓社   大槻奈巳さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   この本のタイトルがいいですね。 2017 年の厚生労働省の調査では、女性の大学等卒業者のうち、はじめて就いた職が有期・無期の派遣労働者の割合は、 15-19% でした。これに対して、男性の大学等卒業者の場合、 33-42% になるのですね。大きな違いです。 派遣労働者は、残業が少ないという特徴があります。 また派遣労働者の昇給については、男女の差はあまりないというのですね。 しかし、有期雇用の派遣労働者には、通勤手当が支払われていない可能性がある、というのは深刻です。 (139) では、派遣で働くことは、自由なのでしょうか。「いまの働き方に満足ですか」という質問に対して、「そう思う+ややそう思う」は 40% です。 また、正社員を目指したいか、という質問に対して、「そう思う+ややそう思う」は、男女ともに、約 60% です。 いまの働き方に満足せずに、正社員を目指している人たちが、実際に正社員になることができれば、派遣社員の働き方は、うまく機能していることになります。 派遣先の会社に対する不満については、男性と女性に大きな差があります。男性の派遣社員は、「定時に帰らせてほしい」とか「年次休暇を取りやすくしてほしい」といいます。しかし女性の派遣社員は、こうした問題に、それほど要求度が高くないですね。この結果は、意外でした。

■被爆者の体験を次世代に伝えていく責任

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  國部克彦 / 後藤玲子編『責任という倫理』ミネルヴァ書房   後藤玲子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    広島と長崎での原爆体験は、終戦直後から、厳しい情報統制のなかで消去されてきたのですね。被爆者の損害も、それに対する責任の主体も明らかにされないまま、すなわち、原爆投下の責任も国家の戦争責任も問われないまま、 10 年が経過したと。  被爆者は、死者に対する罪と責任の感覚をもちます。また被爆者は、恥の感覚をもつことを余儀なくされます。この罪の感覚、責任の感覚、恥の感覚は、本人の個人的で内面的な問題とされ、偶発的な私事であるとして葬られてしまった。被爆者は、原爆症、差別、貧困、孤絶、罪の意識、不安、心の傷、死の恐怖、子供の将来に対する不安など、さまざま意識をもちます。しかしそのような意識を、なぜ一身に担わなければならないのか。賠償とその請求の宛先を確定することによって、その苦しみを少し解除することができるでしょう。  責任を適切に帰責する。そのような責任の倫理は、重要です。被爆者の体験を想起して、記憶して、次世代に伝えていくことは、私たちに課せられた責任です。私たちはこのような責任を担うことで、平和な社会を築くことに貢献できます。