■被爆者の体験を次世代に伝えていく責任

 


國部克彦/後藤玲子編『責任という倫理』ミネルヴァ書房

 

後藤玲子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

 広島と長崎での原爆体験は、終戦直後から、厳しい情報統制のなかで消去されてきたのですね。被爆者の損害も、それに対する責任の主体も明らかにされないまま、すなわち、原爆投下の責任も国家の戦争責任も問われないまま、10年が経過したと。

 被爆者は、死者に対する罪と責任の感覚をもちます。また被爆者は、恥の感覚をもつことを余儀なくされます。この罪の感覚、責任の感覚、恥の感覚は、本人の個人的で内面的な問題とされ、偶発的な私事であるとして葬られてしまった。被爆者は、原爆症、差別、貧困、孤絶、罪の意識、不安、心の傷、死の恐怖、子供の将来に対する不安など、さまざま意識をもちます。しかしそのような意識を、なぜ一身に担わなければならないのか。賠償とその請求の宛先を確定することによって、その苦しみを少し解除することができるでしょう。

 責任を適切に帰責する。そのような責任の倫理は、重要です。被爆者の体験を想起して、記憶して、次世代に伝えていくことは、私たちに課せられた責任です。私たちはこのような責任を担うことで、平和な社会を築くことに貢献できます。


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