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■ウェーバーと仕事人間

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マックス・ウェーバー『仕事としての学問/仕事としての政治』野口雅弘訳、講談社学術文庫 野口雅弘さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。  ウェーバーは「職業政治家」という言葉を、広い意味で用いていて、とくにこの文脈では「政治家兼新聞記者」というカテゴリーに近いというのですね。  今回、これまで「職業」と訳されてきた Beruf を「仕事」と訳した、ということですが、こうすると「ワーカホリック」という仕事中毒的なニュアンスがたしかに掴めますね。また、職業人よりも「仕事人間」のほうが、使命感というか、職務に対する異常なまでのコミットメント感がでるような気がします。もっとも「仕事人」と表現するならば、それは仕事ばかりしている人ではなく、何らかの手仕事にこだわりを持ってコミットメントしている人、という感じですかね。 他方で仕事と訳すと、「職業」が「天職」に転じるというニュアンスが出ませんね。仕事のほうがもっと一般的で、短期的なアルバイトも仕事ですからね、ウェーバーのいう Beruf はそのような一時的なものは含めなかったのではないかとも感じました。  「仕事人間」といえばワーカホリック的なニュアンスが出ますが、ウェーバーがそのようなニュアンスを含めたのは「資本主義の精神」という用語においてであり、「 Berufsmensch 」にはそのようなニュアンスは含まれていないかもしれません。「ぼくたちは仕事人間たらざるをえない」というのは、本当でしょうか。この文脈では、ぼくたちはロマン主義的な全人になることをあきらめて、一つの分野の専門を追求する職業人たらざるをえない、という意味になるのではないかとも思いました。ここらへんは解釈について議論できると嬉しいです。

■「良心の自由」はゼクテから生まれた

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大西晴樹『海洋貿易とイギリス革命』法政大学出版局 大西晴樹さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。  これまでほとんど研究されとこなかったバプティスト派の貿易商人のW・キッフィンという人物に焦点を当て、たいへん興味深い歴史叙述になっています。  思想史的に興味を引くのは、イギリスで「良心の自由」がどのように生まれてきたのか、です。「良心の自由」は、ウェーバーの用語では「ゼクテ」の一つである、バプティスト派に淵源しているのですね。  ウェーバーは「プロ倫」で、「国家による良心の自由の成文法的保護を権利として要求した最初の教会の公文書は、おそらく 1644 年の(特殊恩寵説をとる)バプティスト派の信仰告白 44 条だろう」と記しています。けれどもこれを検証してみると、正しくは、 1646 年に出されたその修正版だというのですね。  近代国家の立憲主義の思想は、権力者が教会を支配するモデルに代えて、権力者が教会活動における「良心の自由」を守るように義務付けるということから生まれますが、それを最初に推進したのは、キッフィンの指導する、特殊恩寵説に立つバプティスト派だったというのですね。ジョン・ロックとキッフィンの関係についての研究も、興味深く読みました。

■この世界を作り変えるためのビジョン

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ジャック・アタリ『新世界秩序』山本規雄訳、作品社 山本規雄さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。 ジャック・アタリは久々に本格的な本を刊行されましたね。世界秩序の青写真を描こうというこの野心的な頭脳に、心から敬意を表します。 アタリの構想では、世界議会は、三院制が望ましい、とされます (309) 。まず「国家代議院」。これは各国の利益を代表する議会ですね。 次に、「世界市民議会」。個々の世界市民を代表する議会ですね。「世界市民議会の議員数は 1000 人で、同一規模の選挙区に再編された世界市民によって、五段階にわたる間接普通選挙で、世界政党が提出する名簿の順位に従って選出される。議院の任期は五年である」と。この世界市民議会は、各国の首相を指名する権利を持つ、というアタリの考え方も興味深いです。これをどのように正当化するのか、そして運営するのか、は難しい課題ですけれども。 最後に「長期企画院」。将来世代、および人類以外の生物界を代表する機関です。これは魅力的なアイディアです。ノーベル賞受賞者などから構成して、任期は十年。超長期の計画を立て、そこから 20 年の長期計画を立てて、法案を提出してもらう、というのですね。これはとても面白いアイディアで、一国の議会でも、このような「長期企画院」に法案を提案してもらうことを実現できるかもしれないですね。まずどこかの国で実現しないと、世界議会でも実現は難しいでしょう。 この他にも、魅力的で実際的なアイディアがたくさん提起されています。世界政府にむけて、私たちがなすべき課題を明確に示しています。世界市民は何をすべきか。この本から学ぶべきことは多いです。

■平等主義の三つの立場を批判する視点

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広瀬巌編訳『平等主義基本論文集』勁草書房 訳者の皆さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。 平等主義をめぐっては、三つの主要な立場があります。 (1) 「価値平等主義」:ある個人が他の個人よりも厚生状態が悪い場合に、それ自体が平等の観点からみて「悪」である、とみなす立場です。 (2) 「優先主義」:厚生の絶対的な水準が低いほど、政策において厚生水準を増大させる際の道徳的な重要さは増す、とみなす立場です。 (3) 「十分主義」:ある一定の水準の厚生を「十分」な水準とみなして、それ以下の厚生状態に置かれた人に対して、政府は、その「十分な水準」の厚生を提供すべきである、とみなす立場です。  こうした平等主義の立場をめぐる議論は、「再分配をするならどのような基準で再分配するのが望ましいか」、という問題をめぐって争われるものです。しかし、どんな財をどのような仕方で再分配すべきなのか、あるいはまた、「厚生とはなにか」については、議論の対象になっていませんね。一般的なケースを想定しているようです。  しかしそもそも「厚生」とは何でしょうか。この問題に対する答えの与え方が、まず一番大きな論点になるように思います。この問題に対する応答の仕方によって、 (1) から (3) までのどの立場をとるべきかについても議論も規定されてくるでしょう。  例えば、ある複合的な幸福度指標というものがあり、その指標にしたがって人々の厚生水準の全体を増大させるためには、どのような厚生の再分配が望ましいのか、という問題が生じます。この問いは「再分配」の問いであると同時に、人間に対する「投資」の問いでもあります。障害者がどれだけ長生きできるのか。その長生きの程度を表す指標が、もし一国の「幸福度」を決める重要な要素であるとすれば、障害者が長生きできるような環境を整備していく必要がありますね。そのための整備は、再分配というよりも、「投資」と解釈することもできますね。 平等主義は、優先主義であれ十分主義であれ、こうした問題をどのように扱うでしょうか。人間の生、あるいは存在を、投資の対象とみなすことそれ自体に反対するでしょうか。あるいは、「できるだけ長生きする」という目標は、そもそも「厚生水準」として不適切でしょうか。「厚生」の中身を問うなら