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■帝国型の生活様式を批判する

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    ウルリッヒ・ブラント/マークス・ヴィッセン『地球を壊す暮らし方 帝国型生活様式と新たな搾取』中村健吾/斉藤幸平監訳、岩波書店   岩熊典乃さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    監訳者あとがきによれば、この本はドイツで話題となり、 2017 年のペーパーバック専門書のベストセラー・リストに掲載されたのですね。現代の資本主義の問題点を掴んでいるのだと思います。   SUV の自動車に乗って、ガソリンをたくさん使って二酸化炭素を排出するような生活スタイルは、もはや望ましくないという本書の指摘はその通りでしょう。  また、緑の資本主義というものが、結局のところエコロジー危機に対して、有効に対処できないのではないかというのも、その通りだと思います。  では、私たちはどんな生活スタイルを築くべきなのか。本書はこの問題に、ストレートには答えていないですね。  本書は次のように述べています。  「私たちは多様なもろもろのオルタナティブを、連帯型生活様式を探求する過程の一環として理解するように提案する」と (207) 。  ではこの「連帯型の生活様式」とは何かといえば、それは環境に配慮した生活スタイルなのでしょうけれども、具体的には描かれず、次のように議論が進みます。  「難民たちの動きが引き起こす政治的な影響は、その他の異議申し立てや運動と同時に生じている。すなわち難民問題の影響は、家賃高騰と不動産投機への異議申し立て、ますます過重になり不安定になる生計労働およびその他の無報酬の労働形態に対する不満、階級とジェンダーとさまざまな出身の区分に沿って人々が日々経験している具体的な分業における不快さ、民営化と欧州レベルの緊縮政策とに対する批判、 TTIP と CETA と自由貿易政策全般に反対する運動、そして石炭火力発電所の建設への、食肉工場への、遺伝子操作を受けた種苗とそれによって生み出された食品への、エネルギー関連大企業への、そして性差別と女性に対する暴力への異議申し立てと同時に生じている。」 (208)  この記述は正しいと思いますが、ここで連帯型の生活様式が、どのようにすれば環境問題を解決するのかが明らかにされていません。もっと問題をストレートに、どのような生活をすればいいのか。これを探求すべきだと思いま

■思い入れのある経済学史研究

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    メアリー・ペイリー・マーシャル『想い出すこと ヴィクトリア時代と女性の自立』 松山直樹 訳、晃洋書房   松山直樹さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   メアリー・ぺイリー・マーシャル (1850-1944) は、夫であり経済学者のアルフレッド・マーシャルとの共著『産業経済学』 (1879) で知られます。 また彼女は、ケンブリッジ大学のウィリアム・ペイリーのひ孫で、 1871 年にケンブリッジ大学の一般入学者能力検定試験に合格しました。 1875 年より、ニューナム・カレッジの経済学講師を務め、 1877 年に、アルフレッドと結婚します。その後も、ブリストルやオックスフォードで教鞭をとりました。  本書は、メアリーの回想録であり、正確には、最初の三分の二が回想録の翻訳で、残りの三分の一は、舩木恵子さんと近藤真司さんによるそれぞれの解説と、訳者あとがき、人物一覧、年譜から成り立っています。つまり本書は、メアリーについて丹念に調べた、経済学史の研究書でもあります。  訳者の松山さんが撮影した、現地の写真も多数含まれています。とても思い入れのある本だと感じました。  メアリーは、女性としてはじめて、ケンブリッジ大学のニューナム・カレッジの道徳科学(現在の「社会科学」に相当する分野)の試験に挑戦し、卒業後、同カレッジで経済学を教えます。ケンブリッジで経済学を教えた、はじめての女性講師であります。 しかし、ケンブリッジ大学が女性の学位取得を認めたのは、 1947 年。戦後のことです。女性の参政権よりも後に認められたのですね。これは大学という組織が、イギリスでは進歩主義的な領域ではなく、社会全体よりも保守的で、政府によってコントロールできていなかったことを示しているようにみえなす。イギリスでは、学問というのはこれほど保守的な環境で営まれてきたということに、改めて驚きました。  本書掲載の写真で、メアリーが描いた風景画があります。すぐれた才能を示していますね。心の中に残したいです。  

■行政サービスの信頼を高めには

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    橋場典子『社会的排除と法システム』北海道大学出版会   橋場典子さま、ご恵存賜りありがとうございました。    事例として、元受刑者の N さんに対するインタビューが、とても印象に残りました。インタビュー当時、 40 代後半の方です。  「正直なところ、弁護士さんからこの団体( NPO 法人)の話を聞いたときは、なんだか胡散臭い話だなと。正直、そう思ったよ。怪しい話だな、とね(笑)。」  「熱心だったのさ。弁護士が。だから、半分義理みたいな感覚だったかな。」  「実は、最初はあまり乗り気じゃなかった。でも弁護士さんが熱心に、ここ( NPO 法人)が紹介されている新聞記事を持ってきてくれて。その新聞を見て、あぁちゃんとしているところかなと思ったよ。それでお願いすることにした。」・・・  この他、元ホームレスの方々に対するインタビューの紹介も、とても興味深いです。  法が信頼されるためには、 NPO 団体が、弱者を支援する必要がある。その際、ちゃんと相手の目を見て話すこと、そして家族のように受け入れること、こうした人間関係の構築が、法サービスを支えるということですね。  プロボノとして活動する弁護士の皆様に、大いに期待を寄せたいですが、しかしコストや情報提供の面で、壁にぶち当たっているのが現実です。これをいかにして解決していくか。これは法にかぎらず、行政サービス全般を、市民のみなさまに、いかに信頼して利用してもらえるのか、という問題でもあります。現場で働く方々の意識、思考態度、実践的なコミュニケーション術、モチベーションなど、こうしたさまざまな要素が、法の正当性を陰で支えている。そしてこれらの要素は「イデオロギー」という観点からも重要であることが分かりました。大いに刺激を受けました。  

■最小国家よりも小さい、最小連邦制国家

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    蔵研也『無政府社会と法の進化 アナルコキャピタリズムの是非』木鐸社   蔵研也先生、 2007 年にご恵存賜りました。そして先日は、シノドス・トークラウンジにご登壇いただき、ありがとうございました。     2007 年に、私なりにご高著にコメントを記しながら拝読したのですが、今回、再読して、この本のオリジナリティが、別の観点から見えてきました。  ノージックのいう「最小国家」が成立するためには、警察と裁判のサービスを担う「保護協会」が、すべてのメンバーを包摂することが必要です。もしすべてのメンバーを包摂していなければ、最小国家は不完全であるといえます。もし 2 割くらいのメンバーが包摂されていなければ、それはアナーキーと呼べるでしょう。  しかし本書は、アナーキーな社会で、いわば「最小連邦国家」のようなものが生まれる可能性を論じているのだと思いました。警察と裁判のサービスが、いくつかの民間企業や個人によって担われているとします。すると、それぞれ警察権力と裁判サービスにおいて、複数の結果が出るので、それを調停する仲裁会社が出現すると考えられます。 もしかすると仲裁は、うまくいかないかもしれません。しかし本書は、社会の進化の過程で、その仲裁がうまくいくと想定するのですね。 この仲裁は、それぞれの裁判サービスが前提とする法体系の、いわばメタレベルに法体系を築いていくでしょう。もし、ある仲裁会社がすべての仲裁サービスを独占するなら、法は、メタレベルで統合されたことになります。しかしこれは司法レベルで国家が誕生したといってもよいのではないでしょうか。もはやアナーキーな社会ではありません。 ここで仲裁会社は、いわば連邦制国家のようなものであり、個々の警察サービスや裁判サービスは、個々の国家を意味するかもしれません。 もし仲裁会社が、仲裁のための一つの法体系を発達させるのではなく、仲裁する際に、貨幣的な取引(正義のオークション)を求める場合はどうでしょうか。本書では、そのような正義のオークション制度について検討がなされています。 正義のオークション・システムでは、ある裁判で勝訴したいなら、相手の裁判サービス会社(あるいは個人)に、オークション・システムで合意が成立するであろう一定の貨幣額を支払うことになります。敗訴する側は