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■日本人にとってユートピアとは

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    菊池理夫/有賀誠/田上孝一編『ユートピアのアクチュアリティ』晃洋書房   菊池理夫さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    日本人にとってユートピアとは何であったのか。 ユートピアの問題を歴史的に考えるとき、一つには、オリエンタリズムの視点で、欧米人が日本にノスタルジックに見出したユートピアがあります。しかし日本人にとって、中国における千年王国運動のような、ユートピア思想に突き動かされた社会運動や社会組織があったのかどうか。  考えてみると、一つはヤマギシ会、もう一つは武者小路実篤の「新しき村」ということになるのですね。  この他「隠岐〔おき〕コミューン」(中沼郁/斎藤公子『もう一つの明治維新――中沼了三と隠岐騒動』に詳しい)、井上ひさし『吉里吉里人』、などがある。  安藤昌益については、最近の研究で、安藤が天皇崇拝者であることが分かったということで、安藤のユートピア論をどう意味づけるかという問題もあるのですね。  日本は思想としても実践としても、ユートピアの資源が少ないなあと思いました。

■死んだらどうなるのか

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    橋爪大三郎『いまさら聞けないキリスト教のおバカ質問』文芸春秋   神は男なのか、女なのか、それともその両方の可能性があるのか。 この問いへの応答は、とても興味深く読みました。 また、人間は死んだあと、どのように存在するのか。 日本では、三回忌、七回忌などと繰り返すなかで、死んだ人は、残された人たちの心のなかで生きることになります。  しかしキリスト教(一神教)においては、まずどんな人も、生まれる前から、神によって生まれるように計画されていた。生まれる前は、神のなかにいたとされるのですね。 そして死んだ後は、残された人々が覚えているかどうかよりも、神が覚えているという点が重要なのですね。神が覚えているかぎり、人は存在し続けると。  そしてキリスト教の世界では、最後の審判が訪れる。最後の審判で、神は再び死んだ人に肉体を与えて、その人を存在させることができます。  後世に名を残すことよりも、神が覚えていることが重要であり、神の審判に耐えうるだけの人生を送ることが必要になるのですね。他の人間が覚えているかどうかは、それほど重要ではない。 これは人生観における大きな違いです。超越的なものと孤独に向き合う姿勢をもつかどうか。これがキリスト教などの一神教が求める姿勢なのですね。  

■ハイカルチャーが成り立つ条件

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    長沢伸也/石塚千賀子/得能摩利子『究極のブランディング』中央公論社   石塚千賀子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    本書で、カプフェレ&バスティアン『ラグジュアリー戦略』 (2011) の「マーケティングの逆張り戦略」が紹介されています。興味深いですね。以下に記します。    「ポジショニング」のことは忘れろ。ラグジュアリーは比較級ではない。  製品は欠点を十分に持っているか?  顧客の要望を取り持つな。  ブランド狂ではない奴は締め出せ。  増える需要に応えるな。  顧客の上に立て。  顧客がなかなか買えないようにしろ。  顧客を非顧客から守れ。上客を並みの客から守れ。  広告の役割は売ることではない。  標的にしていない人にもコミュニケーションせよ。  実際の価格よりつねに高そうに見せるべきである。  ラグジュアリーが価格を定める。価格はラグジュアリーを定めない。  需要を増やすために、時間が経つにつれて価格を引き上げろ。  製品ラインの平均価格を上げ続けろ。  売るな。  スターを公告から締め出せ。  初めて買う人のために、芸術へ接近するよう努めろ。  工場を移転するな。   以上の 18 の逆張り戦略は、思考を喚起します。ラグジュリーというよりも、ハイカルチャーが成り立つための条件であるようにも見えてきます。

■宗政家、前田誠節の名誉のために

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  藤田和敏『悲劇の宗政家 前田誠節』法蔵館    江戸幕府の崩壊とともに、仏教界は、組織の近代化(民主化)を迫られました。その改革を担った人たちを「宗政家」と総称するのですね。  明治時代に、日本に「仏骨奉迎」があった。ところがそれを担った日本大菩薩提会(各宗派の連合)は、巨額の負債を抱えてしまう。財産差し押さえを逃れるために、妙心寺の前田は、妙心寺の資産でこれを立て替えることにした。しかしこの立て替えのために妙心寺のお金を使ったことで、藤田は刑罰を受けることになる。  これはそもそも、お金を拠出しない各宗派の無責任さが問題ですね。各宗派の連合が機能していない。そうした連合の弱さ、無責任さを認識せずに、この団体が、仏骨の一部を日本に奉迎するというイベントを組織したこと自体、誤った判断であったのでしょう。  前田は重禁錮一年六か月、監視六か月の刑に処されました。  前田はその後、隠棲生活を送り精進しますが、心のなかにはどうにもならない孤独を抱えていた、というのですね。  「世間の評価には関知しない。自分は仏道のため、仏法のために最良の方法を採ったのであり、多くの人々の代わりに最も激しい苦しみを受けた。私利私欲など全くなく、後ろめたいことなど一点もない。百年が経過すれば、後世の者はそれを知るであろう。」 (176 頁 )  本書を読んで、前田誠節の名誉を回復すべきだと思いました。

■マルクス経済学の信用論

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    マルクス経済学の現代的課題研究会編『マルクス経済学 市場理論の構造と転回』桜井書店   柴崎慎也さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    宇野派経済学の最近の研究成果をまとめた本です。  商業資本と比較すべきなのは、銀行資本を含む信用制度ではなく、なによりもまず、商業信用であり、それは個別産業資本における信用取引である、ということですね。これも信用制度といってよいと思いますが、銀行を経由せずに成り立つ信用であります。  この商業信用とは、生産者が信用でもって生産手段を買う、ということですね。そのような信用買いができる市場制度が組織化されていなければなりません。ここで生産手段が「工場」のような固定資本だと、個別産業資本のイメージを超えると思いますが、しかし原材料という資本であれば、個別産業資本の内部というイメージになるかと思います。  原材料を信用取引で買う。しかも銀行を経由せずに買う。そのような市場の組織化がすすむと、さらに先物市場が成立するでしょう。銀行を経由せずに、このような市場のシステム化がすすむと、市場はその安定性を増すことができる。そういう論理的可能性について、指摘するということですね。

■進化政治学の三部作

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    伊藤隆太『進化政治学と平和』芙蓉書房出版   伊藤隆太様、ご恵存賜り、ありがとうございました。   一作目の『進化政治学と国際政治理論』 (2020) 、二作目の『進化政治学と戦争』 (2021) 、に続いて、今回、三作目の『進化政治学と平和』 (2022) を上梓されましたことを、心より祝福します。 これらの三部作によって、日本ではほとんど実態が知られていなかった進化政治学という学問が、明快に示されたと思います。進化政治学は学問のフロンティアであり、現在、様々な関心が注がれ、刺激的な議論が展開されます。以上の三冊は全体で、その羅針盤となっています。  第一作目は、研究業績として最もすぐれていると思います。進化政治学の知見を、国際政治における具体的な事例に適用して、一定の説明を試みている点は貴重です。第二作目は教科書的なスタイルであり、これを読めば進化政治学が分かるという内容です。 そして今回の第三作目は、進化論的な政治学が依拠する政治思想的基礎として、進化論的なリベラリズムという理念に関心を注いでいます。  一般に進化政治学とか、進化〇〇学というと、それは既存のリベラルな立場とは別の、保守的な立場から関心が寄せられます。例えば、進化論的な見地から、フェミニズムの立場を批判するなど、反リベラルな言説に関心が集まります。しかし今回の著作『進化政治学と平和』は、基本的にはピンカーの啓蒙主義的なリベラリズムの立場を支持しており、この点で、進化政治学のイメージをリベラリズムの方向に展開 / 転回するという、重要な試みとなっています。進化政治学は、リベラリズムの学問であるというわけですね。  ただ、この第三作目は、内容としてはそれ以前の著作と重なる部分も多く、またピンカーなどの進化論的なリベラリズムを紹介されていますが、私からみるとこれらの議論は単純で、深みがないようにみえます。思想的に詰めが甘く、妥協が多く、新しい理念を喚起する力はあまりないと思います。ピンカー的な進化論的リベラリズムは、思想としては独自性を欠いていて、しかし今後、さらに発展させる価値があるでしょう。例えば、 Gerald Gaus などの議論を踏まえて、ハイエクを超える進化論的なリベラリズムの思想を構築していくことは、現代の思想研究が取り組むべき、一つの

■法案を審議するためのルールの選択理論

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  伊藤泰『憲法上の権利の政治経済学』成文堂   伊藤泰さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    ブキャナ=タロックの立憲経済学と、ブキャナンの晩年の研究(ゲーム論と憲法に関するフロンティア的な研究)をそれぞれ読み込んで、独自の理論とその含意を引き出しています。これはすばらしい成果です。大いに刺激を受けました。  公共選択論者のデニス・ミュラーの権利論は、ブキャナンとタロックの研究成果をさらに展開したものなのですね。ミュラーは立法の段階で、人々がどのような法案審議ルールを選択するだろうか、という問題を理論化した。負の外部性、意思決定費用、大きな損失、不確実性、などを考慮すると、全員一致ルールよりも、憲法上の権利を創設したほうが、コストが安い。この理論は、アメリカの立法過程を説明する力をもっている、というのですね。  しかしミュラーの理論にはいくつか問題点があり、本書はそれらを克服して、新しい理論を提示します。  立憲段階における不確実性は、フランク・ナイトのいう確率計算ができない不確実性ではなく、ある程度まで確率計算ができる「リスク」であり、また「曖昧さ」であると。 かつてブキャナンは、ロールズのいう「無知のヴェール」との対比で、「不確実性のヴェール」という概念を導入しました。現実の世界おいては、ある法律の立法化から得られる利益に関するヴェールの厚さは、一定ではなく、またそれは操作可能でもある。立法化されるルールが一般的であればあるほど、不確実になる傾向がある。こうしたブキャナンの考え方を取り入れて、立法化の過程を検討するわけですね。  この他、本書は、「片思いの悲哀」型のゲーム状況というものを新たに想定して、その意思決定費用と外部費用を理論化しています。理論的に、独創的だと思いました。  問題は、憲法上の権利を新たに創設して、立法権力を縛ることに、人々の多くが利害関心をもつかどうかであり、これは立法される法律の内容によって異なるのでしょう。自分と自分の家族、あるいは子孫など同じ利害をもつと考える人たちが、利益をどれだけ得るのか。その利益とリスクに依存しています。 では、どんな立法が望ましいのか、またどんな立法過程が望ましいのか。こうした規範的な問題は、しかし、人々の利害の状況から説明できるわけではありません。

■福祉国家と卓越主義リベラリズム

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    金田耕一『貧民のユートピア 福祉国家の思想史』風行社   金田耕一さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   福祉国家の思想史研究です。 ジョン・ロック、アダム・スミス、ベンサム、スペンサー、ウェブ夫妻、ニュー・リベラリズムについて、検討しています。すでに私は金田先生のこの本の元となるご論文をいくつか拝読していました。大いに影響を受けました。  本書の終章で、この思想史研究から得られる規範的な含意が述べられています。「したがって課題は、新自由主義によって衰弱した福祉国家を再建することではない。お互いのニーズをみたし、お互いをささえあいながらも、人々に屈辱を与えることのない「品位ある社会」を作ることである」と。 (267 頁 )  そしてこの品位ある社会というのは、最低限の品位だけを満たす社会ではないと考えるのですね。「市民が共有するのは「偉大さ」や「名誉」「尊厳(アレント)といった理念であり、それゆえ政治的関心となるのは「尊厳ある生 (vita dignitas) であるだろう」と。  これはいまの規範理論の用語では、卓越主義リベラリズムの立場であると思いました。 「品位」という概念には、広がりがあります。私たちが「最低限の尊厳」を求めていても、それはいつのまにか「もっと尊厳を」となり、終局的には、「偉大さ」という、最大限の尊厳へと向かって要求を強めていく。そのような政治的要求の広がりというか、概念のインフレーションを内包していると思います。  その意味で、「尊厳」とは、最低限のニーズには収まらず、それを超える運動の概念であるのだと思います。しかし「偉大さ」という最大限の尊厳は、卓越主義的な個人主義を超えて、集団的な偉大さの追求にもなりうるでしょう。これをどのような政治構想として理念化するのか。あるいはこれを阻止するのか。これが問題であるとおもいました。  本書は、 2020 年に逝去された志賀兼充さんに捧げられています。金田さまと志賀さまの出会いは、強烈だったのですね。そのエピソードに刺激を受けました。  

■ハイエク的なロールズ批判を展開する

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    山岡龍一/大澤津編『現実と向き合う政治理論』放送大学大学院教材   山岡龍一さま、大澤津さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   放送大学の大学院生向けの教材です。最新の政治哲学・政治理論が紹介されており、勉強になりました。  ロールズに対するガウスの批判が紹介されています。(本書第 15 章「政治理論の展望」)  ガウスの議論(の一部)と、これを紹介するヴァリアの議論は、ともに The Review of Austrian Economics に掲載された論文であるというのは興味深いです。  私たちは、理性的に考えて、なにか共通の合意できる道徳的立場に到達するのかといえば、それは無理だろうというのがガウスの議論です。これは正しいと思います。理性的に考えれば、リベラリズムを正統化できるのかというと、そういうわけではない。ロールズは、独自のリベラリズム理論を提示しましたが、そのリベラルな原理が実際に正統化しうる文脈は、「重なる合意」という、無定形の範囲をもつ合意に依拠します。その範囲は、いつも当てにできるわけではありません。  私たちは、いわゆる理性ではなく、ある種の進化論的な理性でもって、ある道徳的立場を共有することができます。その道徳的立場は、私たちを全体的に、繁栄に導くものであります。これはガウスがハイエクから学んだ発想なのですね。  では私たちは、ハイエク的な進化論的方法でもってリベラリズムを正統化するとき、たんに進化するからという理由で支持するのかどうか。正統化にはもっと市民宗教的なモメントがあるのではないか、というのがヴァリアの発想なのですね。ただしここで市民宗教というのは、リベラリズムにコミットする理由を、リベラリズムの外部から説明する観測点であり、それ自体としてリベラリズムを実践的に勧めるものではないというのですね。しかしそうであるとすれば、市民宗教は、進化論的な観測点でもよいのではないかと思いました。  いずれにせよ、どんな道徳がリベラルな社会を可能にしているのか、どんな道徳が社会を分断せずに、人々の紐帯を与えているのか、という問題は重要です。例えば、外国人労働者を受け入れるとして、その労働者を国内の他の労働者と公平に扱うのか、それとも賃金などにおいて、ある程度差別的に処遇するのか、という

■児童労働は道徳を蝕んだのか、育んだのか

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    ジェーン・ハンフリーズ『イギリス産業革命期の子どもと労働 労働者の自伝から』原伸子/山本千映/赤木誠/齊藤健太郎/永嶋剛訳、法政大学出版局   原伸子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    イギリスでは、核家族化が早期に出現しただけでなく、「男性稼ぎ主型」の家族が、工業化以前から出現していたのですね。その結果、稼ぎ主たる男性の扶養能力が失われたときには、家族そのものが存立しなくなるというリスクが高くなる。こうした家族崩壊のリスクに対処するために、イギリスでは早い時期に福祉国家化がすすんだ、というわけですね。  本書は、児童労働の歴史にかんする研究書です。 そこで分かってきたのは、子どもたちが得た賃金の使い道です。子どもたちは、稼いだ賃金を母親に手渡します。母親はできるだけ倹約して、家族全員のためによい食事を提供します。子どもたちにとって、新しい衣服を買うことは重要ではありませんでした。児童労働が全般化した産業革命期には、加工食品が発展したというのですね。これは興味深い分析です。児童労働とともに、ジャム、ビスケット、甘いもの、パンなどが発達することになった。 子どもたちは、大きくなると本やその他の娯楽を楽しむようになった。こうした史実から見えてくるのは、イギリスの労働者たちの道徳性です。いまでは「新保守主義」という言葉で語られることも多いですが、イギリスの児童労働と道徳性の関係について、本書は興味深い内容を伝えています。

■30年後の理想の食卓とは

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    田村典江/クリストフ・ルブレヒト/スティーブン・マックグリービー編『みんなでつくる「いただきます」』昭和堂   太田和彦さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    秋田県の能代松陽高校での「トランジション・ゼミ」のレポートを興味深く読みました。高校生が、地域の人々の食生活に関して調査し、理想の食生活と地域のかかわり方について考えるという企画ですね。 まず、「 30 年後の理想の姿と食卓」というビジョンをたくましく描くのですね。そしてそこから、自分の三日間の食生活を記録する。食事内容と食材について記録して、そこからフィールドワークに出るのですね。大規模生産地、スーパーマーケット、直売所などで、それぞれ聞き取り調査をする。  そしてそのフィールドワークを分析する。最後に、持続可能な食と農のビジョンと提案を作成して、その報告書を市長に渡す。   2050 年までに、私たちは家計部門で二酸化炭素を排出しない生活が求められています。それはいかにして可能なのでしょう。私たちの食生活にも、大きな変革が求められていると思いますが、いったいどのような食生活をすればいいのか。引き続き、ご教示ください。

■フランク・ナイトの企業家精神論

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    フランク・ナイト『リスク、不確実性、利潤』桂木隆夫/佐藤方宣/太子堂正称訳、筑摩書房   桂木隆夫さま、佐藤方宣さま、太子堂正称さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    この本は以前にも翻訳が出ていましたが、だいぶ前の翻訳なので、新たに翻訳された意義は大きいと思います。経済思想・経済学史を志す人にとって、必読の古典ですね。  ナイトは本書のはじめに、この本は「根本的に新しいところはない」と断っていますが、これをどう評価するかですね。 ナイトは、計算可能な不確実性(=リスク)と計算不可能な不確実性(=不確実性)を分けて、後者の不確実性を引き受ける機能を「企業家精神」に結びつけたわけですね。これは経営の能力とは異なる機能であり、とくに誰が担っているという実体的な定義ではなく、機能的な定義なのですが、しかしナイトは、リスクに対処するすべての活動を企業家精神とみなしたわけではなく、例えば集合体(組織)を作ること自体がリスクへの対応になるとか、また、専門化、保険サービスの組織化の意義などについて、いくつかのモメントに分けて考察しています。 一般に「企業家」とは、企業の経営者を指しますが、しかし株式会社においては、不確実性を引き受けるのは投資家(株主)であり、ナイトも指摘するように、そこにはパラドックスが生じています。株主は、経営判断をする人を選ぶ判断をするという、いわば「判断の判断」をするわけですね。このような株式会社の仕組みは、未来を見極める能力よりも、未来を見極める人を判断・評価する能力に、未来の不確実性を引き受けさせるわけで、これは奇妙に見えます。そのメカニズムは複雑ですが、結果としてみると、投資家こそ、企業家精神の機能を担っている、ということになるでしょうか。 ナイトの分析は単純明快ではなく、リスクと不確実性をめぐる複雑な事態を分節化して検討しています。それぞれの検討は、たしかに独創的なものではなく、既存の研究を緻密に整理する、というスタイルです。ナイトはこの点で、何か大きな理論的アイディアをもっていたわけではありません。しかし本書を読むと、リスクと不確実性を誰がどのように引き受けるべきなのか、そしてその引き受け方に応じてどのように利潤を分配すべきなのか、という問題が見えてきます。これは研究のスタイルとして、見習

■仲人は日本的経営の衰退とともに消滅した

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    阪井裕一郎『仲人の近代 見合い結婚の歴史社会学』青弓社    阪井裕一郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    この本は「仲人」の歴史に焦点を合わせた点で、とても面白いですね。  仲人の仲介による結婚というのは、 1990 年代以降に激減しました。 1994 年には 63% でしたが、 2004 年には 1% になった。これはほとんど消滅したと言っていい数字ですね。  なぜ仲人は減ったのか。もともと仲人は、「村落共同体」を単位としていて、村落という帰属集団が、その再生産に関わる取り組みの一つとして、仲人役を制度化した。ところが村落共同体の崩壊とともに、今度は「家」が単位となって、仲人は、家と家のあいだの仲介を担うようになる。しかしこの「家」という単位もしだいに核家族化して、帰属集団としての機能を果たさなくなる(核家族には帰属意識をもつでしょうけれども)。 戦後になると、企業が帰属先の単位となる。すると仲人は、企業をコミュニティの基盤として機能したわけですね。ところが 90 年代になると、この企業共同体が崩壊していく。終身雇用制、年功序列、企業内福祉などの「日本的経営」が機能しなくなる。こうなると、配偶者との出会いは、誰がどのように設定していくのか。 90 年代以降の情報化社会においては、新たな出会いも増えたかもしれませんが、他方で未婚率も高くなります。結婚するかどうかは、当人が帰属意識をもつ集団の問題ではなく、純粋に個人的な問題とみなされるようになる。しかしそうなると日本全体として、未婚化と少子化という問題が生じる。これが現在の状況ですね。 こうした社会の傾向を、リベラリズムはどのように捉えるべきでしょう。 一つには、仲人というのはお節介であり、結婚は純粋に個人的な問題として扱うべきだ、それによって少子化が起きても仕方ないという立場があります。これはリベラルな立場のようにみえます。 しかし最近では、地方自治体が婚活を支援する動きがありますね。また「大正デモクラシーの旗手」として知られる吉野作造は、仲人役を頻繁に務める「世話好きなおじさん」だったというエピソードもある。 「自己責任」社会ではいけない、という立場からすれば、仲人役は、後続の人たちの人生をケアする点で、倫理的に望ましいでしょう。ケア