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■日本の寄付文化を育てるには

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    坂本治也編『日本の寄付を科学する 利他のアカデミア入門』明石書店   坂本治也さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    日本の寄付文化に関する研究は、これまであまりなかったのですね。本書はしかし、日本人の寄付行動を分析した大きな成果です。   2022 年の段階で、日本人の一世帯当たりの平均寄付額は、 7526 円でした。一方で、 2020 年の調査では、寄付を行った人は 44.1% でした。もちろん世帯単位でみれば、寄付を行った世帯の割合は、もっと大きい値になるでしょう。  また、一年間の個人寄付と法人寄付の総額は、 2 兆円なのですね。これは大きな額ですね。  興味深いのは、男性よりも女性のほうが寄付を行っている、ということです。男性は 32.3% 、女性は 38.2% です。  また、高卒と大卒・大学院卒で、寄付を行っている人の割合はほぼ同じです。  各国比較で、各国の GDP に占める寄付金額の割合をみると、高い順に、米国、ニュージーランド、カナダ、イギリス、・・・となります。歴史的に言えば、一部のプロテスタントの国では、自発的結社(中間集団)を作って宗教活動を営む文化が発達しました。そのような国では、いまでも寄付によって中間集団を支えるという慣行があるのですね。とはいっても、米国で寄付が GDP に占める割合は、 1.44% でしかありません。  日本ではこの割合が 0.12% と低調ですが、しかしフィンランドは 0.13% 、フランスは 0.11% です。このような比較でみるかぎり、日本人は、欧州人と比べて、それなりに寄付していると言えるのではないでしょうか。これに対して韓国人は、たくさん寄付するのですね。 GDP 比で 0.5% です。  世界の「人助けスコア」ランキングをみると、日本はかなり低いですね。「慈善団体に寄付した」「見知らぬ人を人助けした」「ボランティアに参加した」という三つのスケールで、日本の世界ランクは 118 位。中国や韓国よりも低いです。一位はインドネシア、二位はケニア、三位は米国、となっています。  これらのデータをみると、日本政府は NPO や NGO にもっと助成して、さまざまなボランティア活動を盛り上げていく余地があるのではないか、と思います。ではどうや

■コカ・コーラとラムの組み合わせを生んだトバゴ共和国

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    ダニエル・ミラー『消費は何を変えるのか』貞包英之訳、法政大学出版局   貞包英之さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    ダニエル・ミラーは、英国で、最も精力的に活躍している消費社会論の研究者ですが、この本が初めての翻訳になりますね。とてもいい本ですね。この本の翻訳の労をお引き受けいただき、ありがとうございました。  本書は、最初と最後が会話スタイルになっています。その会話の内容と文体が、とても洗練されているので、それだけでも読む価値があると思いました。とくに奇抜なアイディアを語る人が登場するわけではないのですが、エコロジーや平等主義の問題がリアルに語られていて、そうしたなかで現代の消費社会をどのように批判するのか、という問題がみえてきます。エコロジストや平等主義者は、消費社会を全面的に否定しそうですけれども、しかし、どうして全面的に否定できないのか、という問題です。ここら辺に、現代人の置かれた状況と、会話の面白さがありますね。  ミラーは本書の第二章で、コカ・コーラのグローバル化について考察しています。一般に、私たちは「マクドナルド化」という言葉を用いて、単一の文化がグローバルに広がっていくことに、憂慮の念をいだきます。  しかし、コカ・コーラというのは、フランチャイズであり、それぞれの地域や国で、独自の特殊文化の文脈に、深く埋め込まれた意味を持つようになったのですね。この点に関するミラーの人類学的考察は、とてもシャープで粋です。  カリブ海のトリニダード・トバゴ共和国では、コカ・コーラを瓶詰めする会社は、ニール&マッシーグループのカニングスという多国籍の会社が引きうけている。この企業の戦略や影響力が、この国では重要な意味をもつのですね。  コカ・コーラの受容は、トリニダード・トバゴ共和国では、アメリカ文化の受容ではなく、「ラムとコカ・コーラ」という特別な組み合わせの文化を意味しました。そしてこれがディープな文化になっていく。ラムと組み合わせない場合でも、コカ・コーラは、「赤い飲み物」とみなされ、他の甘い「黒い飲み物」と差別化されて受容されます。しかも同国では、インド系の住民とアフリカ系の住民で、受けとめ方が異なっていたというのですね。  インド系の住民のあいだでは、甘いものを採りすぎて糖尿病になる人

■ユダヤ民族の国ではなく、ユダヤ人とアラブ人の二民族国家を

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    牧野雅彦『権力について ハンナ・アーレントと「政治の文法」』中央公論新社   牧野雅彦さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   アーレントの政治思想の背景を、さまざまな観点から整理しています。  アーレントは、パリに亡命していたときに、「ユース・アーリア」という運動に加わっていたのですね。これは、ユダヤの青年を、中東のパレスチナに移民させるという運動です。  その後、アーレントはアメリカに移住します。米国でのアーレントは、ユダヤ人国家の建設を進めるシオニズムとは、距離を置いていたのですね。ユダヤ人が「故国(ホームランド)」を築くことは重要だけれども、それは「ユダヤ民族の国家」ではなく、むしろユダヤ人はアラブ人といっしょに、「二民族国家」を作るべきだという、ユダ・マグネス (1877-1947) の構想を支持していたのですね。  このアーレントの構想をまとめると、   (1) アラブ人とユダヤ人は、平等な政治的権利と義務を持った連邦国家を形成する。この政治的平等を保障するためには、さらに広い文脈で、連合が必要になる。 アーレントは、この「二民族国家」をイギリス連邦(オーストラリア、カナダなどを含む)の一部にすることが望ましい、と考えた。   (2) この連合国家は、パレスチナだけでなく、トランスヨルダン、シリア、レバノンをすべて含んだものとする。  この構想は、しかしイギリスのヘゲモニーを当てにしたものであり、その後イギリスのヘゲモニーは崩れていく。イギリスは植民地を放棄し、諸国が政治的に独立していく。こうなると、パレスチナで「二民族国家」を作っても、それが安定する保障はなくなりますね。  アーレントはまた、地中海連合のようなものを構想したのですね。フランス、イタリア、スペイン、といった国と連携して、パレスチナ問題を解決するのだと。この場合、二民族国家を作って、その国をこの連合の一員とする、というわけですね。  いずれも「力の均衡」という観点からの提案だと思います。現在のイスラエルとパレスチナのあいだの戦争を、どのように解決すべきなのか。諸国が外部からコミットメントして、連邦ないし連合的な統治を考える方向に、コミュニケーションを構築していく必要があると思いました。

■アメリカのリベラルに期待するには

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    三牧聖子『 Z 世代のアメリカ』 NHK 出版新書   三牧聖子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    現代のアメリカ政治を徹底的に分析した、熱量のある本だと思います。アメリカのリベラルの視点で、現代の右派勢力の台頭を憂う。パッションに満ちた観察です。刺激を受けました。  バイデン政権は、実態として、「アメリカ第一」の政策と訣別しなかった、ということですね。民主党もまた、中間層の利益を確保しないと政権を維持できない。だから外交政策については内向きになる。そういう状況が生まれているのですね。これは具体的に、経済政策などで、どのようなデータで示すことができるのか。知りたいと思いました。  いずれにせよ、世界のなかで、米国の経済力とプレゼンスが相対的に低下する。そして、米国を模範にしない国が増えていく。そうなると国際秩序は、不安定になります。プーチンのウクライナ侵攻を、容認することになってしまう。そのような帰結を避けるための政治を、各国が真剣に模索しないといけないですね。米国のリベラルはこの点で、内向きな国民に対して、国際政治問題を啓蒙する役割を担っているのだと思いました。  もう一つ、米国の共和党は、スウェーデンの V-Dem 研究所の分析で、その政治的立場の権威主義化が加速している、というのですね。「政治的多様性を尊重しているか、反対勢力を悪魔視するような言動はないか、マイノリティの権利を尊重しているか、暴力の使用を肯定していないか、」などの指標で評価すると、米国の共和党は、ヨーロッパの中道右派政党よりも、トルコのエルドアン政権やハンガリーのヴィクトル政権といった権威主義的政権に近い、というのですね。 52 頁。  そうすると、米国の民主党も、やはり並行して権威主義化しているのでしょうか。気になりました。  ポリティカル・コンパスの分析では、戦後の大きなトレンドとして、米国の共和党も民主党も、権威主義化したとされます。冷戦期の「社会主義 vs 資本主義」というイデオロギー対立と比べると、現在の共和党と民主党のイデオロギー的対立は、いずれも第一象限の「市場主義 - 権威主義」の枠内で争っている、という結果になる。しかしその中で、現代のリベラルは、どのような主張をする立場なのか。本書はとりわけサンダースに注目して、

■司法はマイノリティを救ってくれるのか?

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    リチャード・ベラミー『シティズンシップ 民主主義をいかに活用すべきか』千野貴裕 / 大庭大訳、岩波書店 千野貴裕さま、大庭大さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。     A Very Short Introduction というシリーズの一冊で、コンパクトにまとまっていると思います。  訳者解説から読みましたが、ベラミーの立場は、「政治的立憲主義」というもので、これはいわゆる立憲民主主義には反対で、例えば司法審査のあり方を批判するのですね。  例えば、 1954 年の米国最高裁判決に、「ブラウン 対 トピーカ教育委員会裁判」があります。この裁判では、「分離された教育施設は根本的に不平等である」という画期的な判決が出ました。この判決は、それ以前の憲法解釈を覆すものだったのですね。  しかしこの判決が出た後、 10 年が経っても、南部の諸州では、人種隔離を撤廃した学校に通う黒人の子どもは、 1.2% を超えなかったと( 114 頁)。  変化するのは、 1960 年代に公民権運動が盛り上がりをみせてからです。具体的には、 1964 年の公民権法と 1965 年の投票権法が成立してからです。  つまり、マイノリティの権利を、司法で守るという考え方には、限界があるということですね。やはり政治運動が重要で、議会政治を通じて新しい法律を作っていかないといけない。シティズンシップが実質的な意味を持つのは、このように新たな立法を提案する場面ですね。本書は、「諸権利を持つ権利」と表現していますが、簡単にいえば、新しい法律を作る活動が重要、ということです。この活動にこそ、市民権の実質的な意味がある。このように捉えました。

■GDPに代わる総合指標の理念を哲学する

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  福士正博『「社会的質」の可能性を探る』日本経済評論社 福士正博さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    この本はとてもすばらしいです。 問題の立て方がストレートで、私たちの関心に直球でこたえようとしています。さらにその問題の探求が、日本でほとんど紹介されていない文献に基づくものであり、この問題を探求する際に、どんな文献が重要であるかについて、徹底的に猟歩されています。私たちが知らない、しかし重要で興味深い文献の検討が、最初から最後まで続きます。これは研究能力として驚異的であり、読んでいて驚かされることばかりです。 ここで紹介されている研究文献は、どれもすごく価値があるというわけではありませんが、しかし異端経済学や経済思想の観点からみればユニークで、独自の世界を築いた研究者の仕事ばかりです。こうした異端のすぐれた研究者たちの仕事を集めて整理してみると、とてもいいですね。ここで紹介されている研究者たちは、みなさん、新しいフロンティアを築こうとしている。そういう姿勢が、伝わってきます。大いに励まされました。 昨今の「幸福」研究や「持続可能性」の研究は、いずれも大きな問題であるがゆえに、あらゆる価値をそのなかに詰め込むような、総花的なものになっています。しかしどんな幸福が望ましいのか、どんな持続可能性が望ましいのか、ということを争わないと、政策の優先順位をつけたり変えたりすることはできません。幸福度や持続可能性をめぐる、もっと実質的な価値の議論が必要です。 「社会的質」というのは、その際の一つの価値観点と問題観点を与えています。福士先生のこの研究は、「社会性」の哲学を、市民社会論的な規範理論に拡張しつつ、そこから望ましい指標(政策指針)について検討するという、社会哲学としてとても重要な企てになっています。福士先生は、この研究のフロンティアを築かれました。ぜひ若い方々に、この問題の探求を継承していただきたいと思います。 社会的質とは、 Beck その他の定義では、「豊かさや個人の潜在能力を増進するという条件の下で、市民がコミュニティにおける社会的、経済的生活に参加することができる程度」 (74) というものです。 これを指標で表現する際、主観指標と客観指標の両方を使うことになるわけですが、その際の理念は、本書の 100 頁に

■福田徳三の生存権論は、すでに卓越主義的だった

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    西沢保『福田徳三 経済学の黎明と展開』日本経済評論社   西沢保さま、ご恵存賜りありがとうございました。    評伝・日本の経済思想の一冊です。コンパクトな紹介になっています。  福田徳三 (1874-1939) は、 55 歳で亡くなられたのですね。 24 歳からの約 30 年間で、単著を 37 冊も出版するという偉業を成し遂げました。この他にも福田は、ブレンターノとの共著『労働経済論』を出版されているのですね。また、ブレンターノとの書簡も、後に翻訳され、刊行されています。  私は先月で 56 歳になりましたので、この福田の達成と比べて、私になりが足りないのかを自問します。ざっくり言って、福田は私の三倍の研究量なので、これはいったいどのよういうことなのか。想像を超えています。  福田のように精力的な研究者が、なにを後世に残したのか。まだその全貌が分からないので、これから大いに学びたいと思います。  本書を読んで興味深かったのは、 1904 年に、福田は突然、東京高商から休職を命じられるのですね。ある問題をめぐって、当時の助校長と衝突して、罵倒したことが発端になったのだと。それで福田は、翌年から慶應義塾大学の教員になった。  このころ、福田は一時、鎌倉に住んで、円覚寺に参禅した、というのも興味深いエピソードです。  福田の休職の背景には、福田が自由主義の観点から、政府の財政政策を批判して、そしてまた、自由貿易を主張した、ということがあるのですね。それで福田の論文や講義には、「スパイ並みの徹底的な監視」があった、というのですね。「桂伯爵によるスパイ支配」が終わるまでは鎌倉に滞在しようと。  その隠居中に、弟子の上田貞二郎が、鎌倉に福田を訪ねます。ところが福田は、上田がスパイではないかと思って、殴ったのですね。当時はこのように、人間関係が極めて政治的で暴力的で、そういう中で自分の学問的権威を打ち立てなければならない。そのためには、とにかく「経済学概論」とか「経済学大全」のような、体系的な書物を書いて、敵対する人たちにも認められることが重要だったのではないか、と思いました。  もう一つ、福田徳三は、日本では福祉経済学の父と言われたりしますが、ホブソンと同様に、ピグーの厚生経済学に対しては批判的で、人格主義(現