■脱成長社会を考える
江原慶『資本主義は、なぜ限界なのか 脱成長の経済学』ちくま新書 江原慶さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。 わたくしたちの資本主義社会は、いま物質的な限界に直面しています。脱炭素化を進めないと、大きな気候変動(地球温暖化)を避けることができません。そのコストは膨大です。誰も正確には計算できないでしょう。 では物質的な意味での経済成長を求めず、非物質的な意味での経済成長を目標とすることは、望ましいでしょうか。 望ましいです。でも人間はとても愚かなので、結局、非物質的な経済成長を求めても、物質的な生産を縮小できない、というわけですね。だからグリーン・ニューディール政策は、無理なことをしているのだと。 これは人間の愚かさの問題だと思います。頭で理解できても、実践できない。そのような愚かさを抱えた人間は、何をすべきなのか。 一つの考えは「脱成長」の理念にコミットすることです。「脱成長」には、いろいろな意味が含まれていますが、経済学的に定義すると、 GDP ( = 経済成長)を定常にすることではなく、 GDP は上がったり下がったりすることを認めつつ、資本蓄積を抑制する、ということになるのですね。 剰余労働によって生まれた利潤を、再投資した場合、それは、資本が追加的に蓄積されたことを意味します。このような資本蓄積を抑制して、利潤をすべて資本家と労働者の間で分配する(そして消費する)。そうすると「脱成長的市場経済」になります。 そしてさらに、この利潤もゼロにして、つまり剰余労働をしないことにして(禁止して)、経済を回していく。このような利潤ゼロの経済が、「脱成長的コミュニズム」なのですね。 脱成長的市場経済も、脱成長的コミュニズムも、すでにある資本を投資する経済システムであることには変わりません。イノベーションも起きるでしょうし、新たな知識(ノウハウなど)が発見されて、それが分散的なシステムを通じて広まることもあるでしょう。 以上の概念的な整理で、もう一つ検討に値するのは、利潤をすべて環境に投資する経済です。これは環境成長的な投資型市場経済になるでしょう。これはレトリックの問題ですが、脱成長が目指す環境の持続可能性に投資することになります。いわば脱成長志向の成長主義です。私はこの可...