投稿

■大学教育に対する惜しみない愛

イメージ
  小峯敦『経済学史』ミネルヴァ書房 小峯敦編『福祉の経済学者たち 第 3 版』ナカニシヤ出版   小峯敦さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    大学教育に対する惜しみない愛を感じます。  『経済学史』は、ありきたりの教科書ではなく、要所要所で、学生を惹きつけるための興味深い内容が散りばめられています。例えば、水とダイヤモンドはどちらが価値が大きいのか。こうした古典的な問題を紹介する場合にも、少しひねって、ダイヤの消費者余剰と、水の消費者余剰を、一つのグラフの中に位置づけてみるのですね。すると、視覚の効果だけでなく、何かそこから新しい理論を考えるためのヒントになります。  各章の最後には、「練習問題」がいろいろ記されています。この本は 2021 年に刊行されましたが、最近では AI が格段に進化して、このような練習問題は、 AI に質問すれば答えてくれるのでしょうね。 AI が答えてくれない練習問題を載せるわけにもいかないし・・・。  編著『福祉の経済学者たち』も、よい教科書です。この本は、各章の最後に、レポート執筆のためのヒントが載っています。しかしこのヒントに導かれてレポートを書くことも、今年から AI ができるようになりましたね。  いったい大学教員は、 2025 年以降の AI の進化に対応して、学生にどんな課題を求めるべきなのか。どんなレポートでも、ほとんど AI を使って書くことができます。学生たちは、レポート課題を AI でこなして、それで大学を卒業してよいのかどうか。このような疑問は、教員も学生も、同じようにいだいているでしょう。  現在、新しい時代の教科書や授業方法、そして成績の評価方法が求められているのだと思いますが、それがどのようなものになるのか。模索しなければなりません。

■平和教育は「こんにちは」から

イメージ
佐藤香織 / 馬場智一編『『存在の彼方へ』を解読する レヴィナス研究の現在』法政大学出版局   加藤里奈さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   レヴィナスの後期の著作『存在の彼方へ』をめぐって、多くのレヴィナス研究者が論稿を寄せています。レヴィナスの哲学には、研究を呼び起こす力がありますね。圧倒されます。 ご高論「人間の聖性と挨拶 教育を語り直すために」を拝読しました。 「あいさつする」というのは、オークショットのいう「社交体」を形成するためのコミュニケーションです。他者を支配せずに、自由でフラットな関係性を保持しながら、平和な社会を再生産する。そのための一つの知恵だと言えます。 しかしあいさつは、たんに社会を円滑にするためにあるのではありません。レヴィナスは、あいさつという振る舞いに、 (1) あいさつする人が、他者を「存在として祝福する」契機と、 (2) 自分が真摯な存在であることを他者にさらけ出すという、リスクを負う契機を見出すのですね。そしてこのリスクに注目する。このリスクは、世俗の社会をこえる契機になるのだと。私たちはあいさつを交わすことで、自己と他者の「神聖性 / 聖性」を高め、聖なるものを共有する共同体を形成することができる。あいさつには、世俗を超えた要素があるのですね。 これに対して、「ようこそ(ウェルカム)」は、他者を歓待する言葉です。この言葉は、あいさつと違って、自己と他者の関係を、共同体の内部と外部に位置づけます。他者を歓待する場所は、「自分の居場所」です。他者はそこに迎え入れられます。 ところが「こんにちは」というあいさつは、このような共同体の内部と外部という境界を想定していません。かといって、あいさつは、共同体内部の関係に限定されるわけでもない。外国人でも、「こんにちは」という言葉を簡単に使うことができるので、言語共同体の親密圏は、開かれていきます。 人は、他者を認識する以前に、他者を気遣うことができるし、他者を祝福することができる。このような能力を発達させて、人々が互いに気遣い、互いに祝福し、互いに平和な関係を築いていくというのは、一つの理想ですね。共同体の境界をこえると同時に、世俗社会の境界をも超えていく。 そのような理想は、教育の課題でもあります。興味深いのは、...

■戦争責任の論理で移民の処遇問題を考える

イメージ
横濱竜也『移民/難民の法哲学 ナショナリズムに向き合う』白水社 横濱竜也さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    移民・難民を、どの程度受け入れるべきか。そしてまた、どのように受け入れるべきか。この問題について、最新の理論を検討しつつ、ご自身の見解を展開しています。大いに学びました。  最初に、これは移民・難民と直接は関係ありませんが、ナショナリズムの問題として、私たち戦後の世代は、戦争責任をどのように負うのか、という問題があります。本書の「はじめに」で論じられているので、私も少し考えてみます。  ここで瀧川裕英さんの議論を紹介されていますが、それによれば、「国家には国家の非難責任や謝罪責任に対応する形で戦争被害者に賠償する責任が生じうるが、しかしながらその国家に属することにより国民が賠償責任を負うという議論は成り立たない」のだと。 もっとも戦後世代を含めて、日本国民は、国家が戦争の賠償責任を果たすために、納税する義務を負っています。これは、国家が戦争の賠償責任を果たすことを、私たち国民が、民主的な手続きを踏んで拒否することはできない、という意味でもあるでしょう。その意味では、政治的に選択肢が制約されています。 これはつまり、私たち国民は、戦争に対して、賠償責任ではないけれども、なんらかの政治的責任を負っている、ということですね。私たちが民主的に決定できることの範囲は、過去の世代の振る舞いによって制約されている。  民主主義的な決定によって、戦争責任を放棄することはできます。しかしこれを制約しなければならない。これは、一つの政治的責任であり、つまり、もし国家が十分な賠償責任を果たさない場合には、私たち国民は、国家の振る舞いを批判して、国家よりも上位の国際機関や国際法に訴えて、賠償責任を果たすように行動する政治的義務ないし責任を負っている、ということではないでしょうか。 国家は、無責任な主体になるかもしれないので、国家に賠償責任を果たさせるために、国民は一人一人が自律して、政治的行動しなければならない。民主主義の社会においては、各人がそのような政治的責任を負う、ということではないでしょうか。正当な民主主義の社会は、このような主体を前提として成り立ちます。 とすれば、やはり戦後世代の国民は、実質的な意味で、賠償...

■社会学の「知」が、魂を救済する

イメージ
上野千鶴子/森田さち『上野さん、主婦の私の当事者研究につきあってください』晶文社 森田さちさま、ご恵存賜り、ありがとうございました。  これはすごい本ですね。熱量がすごい。生きづらさ、自己嫌悪、死にたい願望、交通事故による臨死体験、パパ活、夜の仕事、中絶、結婚、子育て、社会活動、・・・ すべてがひっくり返っていて、非日常的な日常の世界が広がっています。一気に拝読いたしました。  壮絶な人生であり、「いいこと」と「嫌なこと」の振り幅が大きくて、ジェットコースターのようです。規律と逸脱、成功と失敗、・・・そして生きづらさを、どうやって克服するのか。この問題に、上野千鶴子先生との対話によって、迫っています。  キリスト教の世界であれば、教会の告解室で、告白・懺悔する。そうすることで、神に許され、魂が救済される、というコミュニケーションがあると思います。人は、生きづらさを語り、それを受けて宣教師は、バイブルを参照しながら、アドバイスをします。  しかし現代社会で、これに代替する機能を果たしているのは、社会学の当事者研究なのかもしれません。当事者が、自分の人生を社会学的に分析してみる。するとその生きづらさは、親子関係や、社会の仕組みによって生み出されていることが分かる。そしてそのような社会学の「知」が、魂を救済する。 自分の家族関係や、自分の置かれた社会関係を、しっかり言語化すること。そしてもっと世界を知ること。社会学を通じて、自分の悩みが、多くの他者の悩みでもあることを知ること。さらに他者が、自分と同じような悩みをどのように乗り越えたのかを知ること。 自分の問題を解決するためには、自分自身を変えるよりも、この社会を変えることによって可能になる。社会学を通じて、このように「内から外へ」と問題を広げることで、前向きに生きていくことができるのですね。内から力が湧いてくるようです。  社会学の当事者分析は、魂の救済を可能にする。上野千鶴子さんの対話力は、とにかくすばらしい。要所要所で、的確な言葉を返し、投げかけています。これが社会学の力であるのだなと、改めて認識しました。  突き放して言えば、悩みというのは多くの場合、何も考えずに、あるいはあえて直視せずに、気晴らしをすることで、少しずつ忘れていくものです。忘れることで、対処できる、という面が...

■鎌倉仏教革命が失敗した理由

イメージ
橋爪大三郎『鎌倉仏教革命 法然・道元・日蓮』サンガ新社   橋爪大三郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   鎌倉時代、日本の精神文化は、法然、道元、日蓮の三人によって一新されます。 それまでは輸入文化だった仏教。しかしこの三人によって、日本でオリジナルな精神文化が発展しました。西欧における宗教改革よりも、 300 年も早いのですね。 この三人は、「貧乏主義」という点で共通しています。いずれも、既存の仏教が貴族たちに奉仕している状況を改めて、「民衆(庶民)の救済」のための精神文化を目指しました。そして平安時代の仏教の正統性を、掘り崩していきました。 しかし、この鎌倉時代の仏教革命は、西欧の宗教改革がもたらしたような、本格的な社会改革には結びつきませんでした。それはなぜなのでしょう。 理由は二つあるのですね。 (1) 法然、道元、日蓮。この三人は、それぞれのグループに分かれて、連帯できなかった。ドイツで起きた宗教革命の場合、どのグループも、聖書という一つのテキストを共有していました。聖書の解釈が分かれるとしても、妥協したり連帯したりすることができました。しかし鎌倉仏教の場合、そのようなテキストが共有されていませんでした。 (2) 宗教は、政治に従属していた。日本は中国のやり方をまねて、仏教は、世俗の政治権力に服従する道を選んでいました。(インドでは、仏教は世俗の権力から分離していたのだが。)これに対してキリスト教は、政府の上にあって、政府の政治権力の正統性を与えることができたのですね。日本では、禅宗も、法華宗も、世俗社会にあり方に対する対案を出すことはありませんでした。ただ、唯一、念仏宗だけが代替案を示しました。自治組織を作って、政府と対立します。しかし念仏宗も、特定の地域を治めるほどの勢力にはなりませんでした。 以上の二つの理由を反省的に捉えると、日本で宗教が社会改革に結びつくためには、派閥同士の連帯、テキストの共有、世俗権力に従属しない精神的正統性の構築、自治組織に基づく対抗、といった実践が重要になるのではないか、と思いました。 さて、その後、この鎌倉仏教革命に対抗して、既存の仏教の巻き返しが起こります。  鎌倉時代の初め頃に、『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』という経典が、日本人によって、...

■中道でも極端な政治

イメージ
酒井隆史/山下雄大編『エキストリーム・センター』以文社   三宅芳夫さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    「エキストリーム・センター(極中道)」とは、中道だけれども、そこに極端な思想を取り入れざるを得ないような政治状況、ないし政治の体制ですね。  ピエール・セレナ著『極中道あるいはフランスの毒( 1789-2019 )』 (2019) は、「極中道」という観点から、フランスの政治史を分析しました。 フランスでは、 2017 年に、 E ・マクロンが大統領になります。その時のスローガンは、「右でも左でもなく前へ」でした。 マクロンは、イデオロギー的には穏健です。しかしその一方で、政府の執行権力を強力にコントロールしはじめました。政治的にいろいろな立場が拮抗すると、政治の正統性を、多数派のコンセンサスによって、生み出すことができまません。すると社会は不安定になります。 すると、イデオロギー的には中道で、バランスの取れた政治を行ったとしても、うまくいません。警察権力と軍事力をコントロールせざるをえない状況になります。そのような状況で、「極中道」というは、仕方のない統治方法にみえますが、しかしどうなのか。  極中道には、別のケースもあります。例えば、ナチスのような極右勢力を、政権の一部に取り入れたドイツです。民主主義を否定し、ナショナリズムを掲げる極右勢力が台頭してきたとき、しかも政治状況が不安定なとき、政権を握る与党は、極右勢力の要求の一部を取り入れざるを得ないでしょう。反対に、極左が台頭してきて、政治が不安定な場合は、政権与党は、その要求の一部を取り入れざるを得ないでしょう。いずれも、極中道と言えます。 また極中道は、次のようなケースでもありえます。中央の穏健派は、穏健な左派と、穏健な右派のバランスを重視します。その場合、穏健な左派が、新自由主義の政策を支持するケースがあります。最近のフランスでは、『ル・モンド』『リベラシオン』『ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール』といった、中道左派の雑誌が、新自由主義を支持するようになったというのですね。このような穏健左派は、新自由主義という右派のイデオロギーに賛成しているので、「極中道」と呼びうるというのですね。  この他、ウクライナ戦争を受けて、西欧諸国は、軍...

■今年聴いた音楽5選(2025)

イメージ
   年の瀬が迫ってまいりました。 皆様、いかがおすごしでしょうか。  最近になって気づいたのですが、私はすでに、ミッシェル・フーコーより長生きしています。これはどういうことでしょう。愕然としてしまいます。 フーコーは 57 歳と数カ月で逝去されました。ウェーバーは 56 歳で逝去されました。私はこの二人の巨人よりも長生きしているというのは、耐え難い事実です。  那須耕介さんが亡くなられてからも、すでに 4 年と3か月が経ちました。そしていま、私の音楽の趣味は、那須さんの趣味にしばられているようです。「これは那須さんが聴きそうな曲だな。だからもっと聴きこむことにしよう」という具合に、私の聴覚が動いてしまいます。テイストの影響というのは、恐ろしいですね。  *  今年、私が YouTube や Spotify で出会った音楽のリストをご紹介します。 100 曲くらいです。   https://music.youtube.com/playlist?list=PLFExZbc_M4ZMX8xqEzzjgowGuxeoPgjqS    昨年も触れましたが、私はだんだんクラシック音楽を聴くようになりました。今年は 40 年ぶりに、スピーカーを買い替えたということもあります。しかしオーディオの機材よりもなによりも、心地よいと思う音楽そのものが変化していくのですね。変わらないのは、作曲家の創作エネルギーに刺激を受けたい、という傾向のみです。創作するという観点から、今年印象に残った音楽を5点、挙げてみます。順不同です。   ■エドゥアルド・キプルスキー「平和への祈り~歌曲集」 https://music.youtube.com/watch?v=yrAeH2OJf-A ロシア生まれで、現在はウィーンで活躍している作曲家・ピアニストです (1986-) 。これまでピアニストとして、さまざまなアルバムを出してきましたが、このアルバムは作曲がすばらしい。   ■ Robin Verheyen / Robyn Schulkowsky / Goeyvaerts String Trio,“Jakob's Mirror” https://music.youtube.com/watch...