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■本を読んだらご褒美

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大竹文雄『経済学的思考を組み立てる』中央公論新社    大竹文雄さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。  最近の経済書を広範に紹介しています。  教育の投資効果についての J.J. ヘックマンの分析が興味深いです。用いたデータは、 1960 年代のプロジェクトです。経済的に恵まれない 3 歳から 4 歳のアフリカ系アメリカ人で、平日の午前中に教育をした子どもと、しなかった子どもについて、その後、 40 歳になるまで追跡したのだと。追跡してみると、 10 歳のときには、まだ IQ の差は現れていません。しかしその後、 40 歳になるまでに、高卒率、持ち家率、平均所得、生活保護受給率、逮捕者数、について調べてみると、 15-17% の差が生まれた。つまり、 3-4 歳で、平日の午前中に勉強すると、その社会的投資効果があった、ということですね。  別の大規模な実験が紹介されています。米国で、 9.4 億円を使って、 3 万 6000 人を対象に、「テストで良い点を取ったらご褒美をあげます」と「本を一冊読んだらご褒美をあげます」という二つの動機づけで、どちらが子どもの学力を向上させるのかについて調べました。すると「本を読んだらご褒美」、という動機づけの方が、学力が伸びたのですね。  もう一つ。日本で、大学生の授業料を無料にするためには、 2.5 兆円の予算が必要なのですね。これは、消費税を 1% 増やせば実現できます。しかし多くの日本人は、大学生の教育に投資するよりも、消費税を 1% 増やしたくない、と判断するでしょう。でもおそらくですが、大学の授業料を無料化すれば、少子化をある程度まで防ぐことができます。その効果を含めて検討したいものです。  

■「偉大な政党」と「矮小な政党」

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古賀敬太 / 長谷川一年編『岐路に立つ民主主義』法政大学出版局   佐野誠さま、濱真一郎さま、田中将人さま、ご恵存賜りありがとうございました。    マックス・ウェーバーは、ヒットラーの全体主義政権を見る前に亡くなりましたが、ウェーバーの晩年の政治理論は、大統領に大きな権限を集中させる「人民投票的指導者民主主義」(ライヒ大統領制)を支持するものでした。それは、カリスマがトップに立つシステム(カリスマ的支配による政治システム)ではありませんが、次のような特徴をもちます (34) 。   ・大統領は国民によって選出される。その任期は 7 年以上。 ・大統領は、議会の立法に対しても、大きな影響力を行使できる。 ・大統領は、すべての官吏を任命できる。 ・大統領は、恩赦の権利を持つ。 ・大統領を解任するには、選挙人の 10% のイニシアティヴとレファレンダムで可能。    このような政治システムは、ヒットラー政権を可能にするかもしれません。ではどうすればよいのか。  全体主義の反省から、バーリンは、多元的民主主義のシステムを展望しました。それはあまり明確なビジョンではありませんが、私が考える「自生化主義」と似ています。すなわち、人間はいかに生きるべきか、自分でよく分かっていない、という前提で政治システムを考えるということです。もし「いかに生きるべきか」について分かっている、すなわち、「善き生とは何かが分かっている」という前提で社会を運営すると、権威主義の社会になってしまう。だから人生の目的をわきに置いて、あたかも子どもが遊ぶように、人生を楽しめるような社会にする。「いかに生きるべきか」を問わないで、よい政治、よい人生を考えようというのが、バーリンの発想です (188) 。  そのような社会は、多元的な民主主義になるでしょう。そしていろいろな模索をする社会になるでしょう。  トクヴィルの場合、発想はもっと大人ですね。どんな社会がいいのか。各政党にビジョンを出していただいて、競い合っていただく。トクヴィルによれば、しかし政党には「偉大な政党」と「矮小な政党」があり、いずれも長所と短所があるというのですね。(松本礼二訳、トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第一巻、下 13 頁、岩波...

■「共感」について

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坂本達哉『「共感」の思想史』岩波新書    坂本達哉さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    「共感」という感情をベースにして「よい社会」を作ろうという課題は、私たちが、たんに「利己心」や「啓発された(利他性を考慮に入れる)利己心」をベースに社会を作っていくことのオルタナティヴとして位置づけられます。 共感をベースにして作られたルールは、利己心をベースにして作られたルールとは異なるはずです。ではどう違うのか。もしかすると、あまり違いはないのかもしれません。これは、 J.S. ミルが、共感論と正義論を矛盾なく接続していく過程で、すでに統合されていたのかもしれません。 「啓発された利己心」は、共感をベースにして、他者の利益を考慮することができます。望ましい「正義」の基準も、この啓発された利己心と共感の感情から、提示できるかもしれません。 本書の終章で紹介されているように、フライシャッカーは、ヒュームを「情動的共感(エンパシー)」論の代表者として位置づけ、スミスを「認知的共感(エンパシー)」の代表者(体系的に再構築した人)として位置づけました。認知的共感は、暖かい思いやりに欠ける一方で、啓発された利己心と両立します。また認知的共感は、内集団を超えて、外集団に対して共感していく力を発揮します。共感できない外国人を排除するといった、自国民中心主義を避けることができるでしょう。 ただし、スミスは認知的共感論から、高貴な祖国愛を求める一方で、世界人類愛のようなグローバルな次元の認知的共感については、あまり現実的ではないと考えたようです。それでも私たちの時代は、すでにメディアを通じて、世界中の出来事に触れることができます。 21 世紀の私たちの認知的共感は、経験的な次元でも、世界市民を形成する基盤になるかもしれません。 アマルティア・センは、スミスの共感論をあまり評価しませんでした。センはむしろ、スミスの「公平な観察者」に注目して、ナショナリズムを克服することを展望しました。しかし私たちは、スミスの認知的共感論を理論的に拡張して、世界市民になることができるのではないでしょうか。そのようなメディア環境が生まれているのではないでしょうか。公平な観察者の基準も、最適な認知的共感の基準も、いずれも変化していくでしょう。ではこ...

■下からの権威主義

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ラヴィーシュ・クマール『声を上げる自由 インドの民主主義と文化と国家について』倉田夏樹訳、湊一樹解説、作品社   作品社編集部さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    インドのモディ政権の下で、自由がしだいに奪われていく現実を、ジャーナリストの視点で生々しく描いています。とても深刻だと思います。米国トランプの政権においては、 2026 年、「報道の自由」の米国の世界ランキングが、 7 ランク下がって 64 位になりました。インドにおいては 2025 年のデータですが、報道の自由は、 180 カ国中 151 位です。インドの方が、かなり低いです。  インドで、「 IT 部隊」という言葉があります。オンライン上で、モディ政権のプロパガンダ活動を行う人たちを指します。ある人が政権を批判すると、この人たちに批判されて、「反インド、反宗教、野党の回し者」などと罵〔ののし〕られてしまうのですね。この IT 部隊による批判活動はすさまじい。だからメディアは批判を恐れて、政権の「御用メディア」にならざるを得ない、というのですね。  なるほど、これは「下からの権威主義」ですね。  モディ政権以前は、もっと自由でした。ところか最近では、マスメディアで政治を客観的・中立的に報道してきた人たちも、 IT 部隊に批判されて、自由な報道ができなくなった。モディ政権を支持する報道をするか、そうでなければ会社を退職せざるを得ないのだと。   IT 部隊は、 SNS を用います。ワッツアップ(日本の LINE のような SNS )で、言論をパトロールしています。モディ政権を批判する人を、誹謗中傷します。だから人々は、ワッツアップなどの SNS で、自由な言論活動ができなくなる。 これはしかし、 SNS の言論空間をどのようにデザインするかという問題でもあります。批判者に対する誹謗中傷が拡散しないように、 SNS の運営会社が工夫する必要がありますね。そうしないと、実質的に自由な言論活動ができなくなってしまう。  著者は 2018 年に、雇用問題をめぐって、あるテレビ番組を作りました。公務員の採用試験に、何百という求職者が応募するのですが、募集人数は極めて少なく、しかも採用までに四年間もかかる。こういう現実を報道すると、インドでは報道し...

■二つの公共空間:人格性と匿名性

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  カシミール・ヒル『あなたの顔はわたしたちのもの 顔認証 AI の誕生と、プライバシーの終わりの物語』高橋則明訳、実務教育出版   実務教育出版編集部さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    顔認証を AI によって高度化する技術は、人々のプライバシー権と両立しません。しかし現在、国家はこの技術を必要としているので、この技術を国家に売り込むベンチャー企業が参入して、産業が成り立つのですね。  クリアービュー AI 社は、顔画像の収集と分析をしています。それが人々のプライバシーをどの程度侵害したのかについての訴訟は、まだどうなるか分かりません。 おそらく訴訟の着地点は、社会の安定、経済利益、プライバシー、国家の安定など、いろいろな要求をバランスよく満たすものになるでしょう。 CCTV による顔認証も、その情報の収集によって、国家に抗議する人たちの社会運動を萎えさせるようになると、問題です。国家に抗議すると、強い監視下におかれる。このような社会は、自浄作用を持たないからです。 しかし中国では、監視カメラに捉えられない権利というものが、特権階級の一つの特権なのですね。「レッドリスト」の人たちは、監視されない自由がある。 この他、米国の社会運動団体「ファイト・フォー・ザ・フューチャー」は興味深いですね。ヨーロッパでも類似の団体があるようですが、顔認証禁止(「あなたの顔を取り戻せ」)のキャンペーンを行いました。 私たちの顔は、誰のものか。これは公共的な空間においては、公的なものであり、自分は自分の顔について、プライバシーを要求できない、と思われるかもしれません。しかし公共的な空間には、二つの種類があります。 一つは、各人が一人の人格として現れる公共空間です。もう一つは、匿名性をもった人間として現れる社会的空間です。後者の空間は、重要です。自分が特定されないことによって、コミュニケーションが円滑になることがあります。各人は、自分を守りながら人と関わることができます。  こうした匿名的なコミュニケーションによって、私たちは近代社会を繁栄させてきた、という面があります。この領域を、どこまで権利として守ることができるのか。この問題もまた、社会の安定、経済利益、プライバシー、国家の安定など、いろいろな...

■日本は1941年にハル・ノートを丸呑みすべきだった

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  橋爪大三郎『日本人のための地政学原論』ビジネス社   橋爪大三郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    地政学というのは、学問としては物足りないところがある。アカデミアに根を下ろしていない。あまりいい本がないし、荒っぽい骨組みにすぎない。だから社会科学やリベラルアーツで肉付けして、地政学の教科書を書いてみよう。そのような狙いで本書が生まれたのですね。  地政学的に言えば、日本は何よりも、戦争に負けた経験を活かさなければならない。最大の問題は、「ハル・ノート」( 1941 年 11 月 26 日にアメリカが日本へ提示した外交文書(覚書))を受け取った日本が、これを最後通牒と受け取って、開戦を決意したことです。本書によれば、このハル・ノートに書かれた要請を、日本政府は受け入れるべきだった、というのですね。  その内容は、   1. 日本は、中国、仏印から全面撤退する。   2. 日本は、蒋介石政権だけを認める。   3. 租界や治外法権を放棄するよう、日米が努力する。   4. 通商条約を結ぶ交渉を開始し、両国の資産凍結を解除する。   5. 日独伊三国同盟は、太平洋の平和に反しないと合意する。  以上の五つです。 ここで、「中国」に「満州」が含まれていない、という解釈が、ハル・ノートの草案に書かれていたのですね。米国は、満州について問題にしていなかったのだと。  「日本の軍部は、軍事を理解せず戦争が下手くそなうえ、政略も軍略も分からず、地政学を理解していない。だからハル・ノートを、前向きな提案だと受け取ることができなかった。では、どう考えればよかったのか。」 (218)  日本が戦争に負ければ、ハル・ノートの提案内容よりも、悪い結果を飲まざるを得ない。そして実際に悪い結果になった。もしこれが分かっていたのなら、日本はハル・ノートを丸呑みした方がよかった。当時の日本政府は、ハル・ノートを丸呑みしても、陸軍、海軍、そして米国に対して、うまく説得して政権を維持できたはずである。丸呑みした方が、日本の地政学的優位を保つことができたし、原爆を避けることもできたはずである。  このように考えてみると、地政学的に発想することは、戦争と平和の問題を考えるうえで、とても重要であ...

■自由民主主義にコミットできるか

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田中拓道『自由民主主義とは何か』ちくま新書   田中拓道さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   自由民主主義は、 1940-50 年代に最も用いられた言葉なのですね。その理念の起源は、近代の政治思想史と同様に、ホッブズやロックに遡ることができます。 現代においては、各種の民主主義論や、グローバル正義論において、この理念が問題になります。近代政治思想史において、中道的な議論はすべて、自由民主主義の理念の下に論じられてきた、と解釈できるでしょう。  ハーバーマスは「憲法パトリオティズム」を掲げましたが、同様に本書は、歴史的な次元で、自由と民主主義に対するパトリオティズムを掲げることができる、というのですね。これは発想として、ローティに似ています。  自由民主主義というのは、それ自体としては、感情的・信条的にコミットメントすべき対象ではないようにみえます。しかし歴史を振り返ると、人類は自由民主主義にコミットしてきたし、私たちはいわば復古的に、自由民主主義の再生を掲げることができる。  もっとも自由民主主義といっても、多様なので、この理念は一つのインパクトのあるイメージを提供するわけではありません。これはリベラリズムの場合も、民主主義の場合も同様です。具体的に、何をイメージしてコミットすればよいのか。  右派は例えば、天皇制、移民問題、国旗、国歌、などの対象にコミットします。左派は、これらを批判する以外に、何を積極的に擁護してコミットするのか。国会、選挙活動、 NPO 活動、ということになるのかどうか。そのようなことを考えました。