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■プラットフォーム企業は商品の価値を創造する

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安藤元博『価値創造する市場 テクノロジーが紡ぐ新しい交換』勁草書房   安藤元博さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    本書は「広告が価値創造の一端を担う」という考えを、オーストリア学派の理論を取り入れて論じています。オーストリア学派は、価値の創造過程を論じているわけではありません。あくまでも価値を主観的に捉える、という学派です。しかし価値を主観的に捉えることは、生産の場面で、労働者の労働が価値を生むだけでなく、流通の過程で広告業者が商品に価値を加えることを許容するでしょう。  さて、この商品の価値という考え方を、商品のプラットフォームづくりにまで拡張すると、アマゾンやグーグルなどのプラットフォームは、商品の流通コストを引き下げているだけでなく、信頼の価値を形成している。  商品のプラットフォーム化がすすめば、どの会社のどの商品が信頼できるか、という情報の問題に、大きな進展がみられるでしょう。本書の表 3(322-323 頁 ) が参考になりました。  サプライチェーンの可視化(製造過程・流通過程)によって、同一の商品性を保障(虚偽の混合可能性の排除)することができるようになります。また、未知の取引相手(買い手)についての情報も開示されるなら、取引の信頼性は増すでしょう。例えばシェアエコノミーでは、不特定多数の参加者を排除して、商品をシェアする人たちに対する信頼を高めることができます。  このような仕方で信頼度が高まると、商品の価値も高くなる、というわけですね。これは別の観点から見れば、流通過程は商品の価値を高めたのではなく、商品の信頼度を高めただけだ、と言われるかもしれません。けれども商品が高く売れるということは、そこに価値創造があったからであり、それは商品の価値として解釈できる、ということでしょう。

■政治家に必要なのは思想、戦略、未来

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エマニュエル・マクロン『革命 仏大統領マクロンの思想と政策』ポプラ社    吉田徹さんが「いい本」だと言っていたので、読んでみました。  大きく分けて、二つ学びました。一つは、フランスはいま、衰退している。社会が分裂しつつある。そのような状況で、大統領に課されたミッションは何か、という問題意識です。これは日本でも、おそらく 10 年後には、同じような言説が必要になっているのではないかと想像します。 またマクロンの政策思想は、「新しいリベラル」に近いです。未来に投資するという考え方を前面に出しています。「私はイノベーションと投資に重きを置いた。野心的な産業振興政策をつくりだそうとした」と (43) 。平等主義ではない、公的支出を増やすのでもない、イノベーションを導くのだと。(ただし少子化対策については、それほど論じていません。) 「まず、国家の役割を劇的に変えることから始めなければならない。国家は、真の「社会への投資家」となり、個人個人が何者かではなく、どのような人になることができ、集団に何をもたらすことができるかによって判断しなければならない。したがって、社会保障を充実させるだけで満足してはならない。それは国家が最低限やるべきことにすぎない。」 (187)  マクロンによれば、大統領に課された課題は、再分配のために経済に占める政府部門の割合を大きくすることではなく、経済を発展させることです。この文脈でマクロンは、 1970 年代に労働者の自主管理経営で話題になった、リップ社に触れています。 リップ社は、ブザンソン市の時計会社です。ブザンソン市はそれまで、時計産業に投資してきました。しかし時代は、クォーツの技術によって、デジタル化へと転換していきます。従来の時計産業は、やがて淘汰されるという局面を迎えました。しかしその後、ブザンソン市では、公立研究所と民間企業が中心となって、各種の精密技術に投資します。現在、同市はマイクロテクノロジーの中心地として生まれ変わったというのです。斜陽産業の町から、いかにして新たな産業を興していくのか。ブザンソン市の経済発展戦略を、私たちは学ぶ価値がある、というのですね。 (217-218)  そしてもう一つ、この本の特徴は、第一部が「思想」、第二部が「戦略」、第三部が「未来」となっていることです...

■小川淳也代表のビジョン

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小川淳也『日本改革原案  2050 年成熟国家への道』光文社   私は最近、小川淳也さんの『日本改革原案  2050 年成熟国家への道』を読んでみました。 2014 年に刊行された本ですが、今読んでも古く感じません。長期的な視点があり、日本の進むべき道を、ある程度まで示していると思います。この「ある程度まで」という留保を付けますが、私の批判は別の機会に譲り、以下、この本についてメモします。 本書の内容は、中道改革連合が 2026 年 7 月 14 日に示した「競争力ある福祉国家」の構想(中間とりまとめ)とは、やや異なるでしょう。出版からすでに 12 年経っていますし、また 2023 年には、この本のアップデート版も刊行されています。ただし現在は絶版状態(復刊を望みます)。 以下、 2014 年版を参照します。その前に、 2026 年 7 月 14 日に示された「競争力ある福祉国家」の構想(中間とりまとめ)は、以下のサイトで示されています。   https://craj.jp/news/20260714_0477?preview=bb8fb70099c45ca02fb18ed8f7936cb2448a4852.vO9P8lb-0eTrGTGJ2gv8bx12E4r8zFJl9PaMYocdhQk    この 7 月 14 日の中間とりまとめでは、「競争力ある福祉国家」という言葉が、政策の中心理念となっています。「人への投資によって、一人ひとりの自由と可能性を広げ、その積み重ねと循環を通じ、社会の安心と経済の競争力を高める国家」というビジョンです。これは、私が「新しいリベラル」と呼ぶ考えにも結びつきます。  この「競争力ある福祉国家」の内容は、 2014 年に刊行された小川さんの『日本改革原案』で、すでに練られています。この本は、有志たちの勉強会を通じて練った案ということですが、随所に興味深い政策提案があります。例えば・・・   ・高齢者を 70 歳以上と定義すれば、 2050 年の高齢化率は 32% にとどまる。 65 歳以上とすると、 2050 年に、 40% が高齢者になる。 (88) ・生涯現役社会を実現して、基礎年金額は、収入に応じて減じる仕組みを考える。 (91) ・現在の相続の...

■本を読んだらご褒美

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大竹文雄『経済学的思考を組み立てる』中央公論新社    大竹文雄さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。  最近の経済書を広範に紹介しています。  教育の投資効果についての J.J. ヘックマンの分析が興味深いです。用いたデータは、 1960 年代のプロジェクトです。経済的に恵まれない 3 歳から 4 歳のアフリカ系アメリカ人で、平日の午前中に教育をした子どもと、しなかった子どもについて、その後、 40 歳になるまで追跡したのだと。追跡してみると、 10 歳のときには、まだ IQ の差は現れていません。しかしその後、 40 歳になるまでに、高卒率、持ち家率、平均所得、生活保護受給率、逮捕者数、について調べてみると、 15-17% の差が生まれた。つまり、 3-4 歳で、平日の午前中に勉強すると、その社会的投資効果があった、ということですね。  別の大規模な実験が紹介されています。米国で、 9.4 億円を使って、 3 万 6000 人を対象に、「テストで良い点を取ったらご褒美をあげます」と「本を一冊読んだらご褒美をあげます」という二つの動機づけで、どちらが子どもの学力を向上させるのかについて調べました。すると「本を読んだらご褒美」、という動機づけの方が、学力が伸びたのですね。  もう一つ。日本で、大学生の授業料を無料にするためには、 2.5 兆円の予算が必要なのですね。これは、消費税を 1% 増やせば実現できます。しかし多くの日本人は、大学生の教育に投資するよりも、消費税を 1% 増やしたくない、と判断するでしょう。でもおそらくですが、大学の授業料を無料化すれば、少子化をある程度まで防ぐことができます。その効果を含めて検討したいものです。  

■「偉大な政党」と「矮小な政党」

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古賀敬太 / 長谷川一年編『岐路に立つ民主主義』法政大学出版局   佐野誠さま、濱真一郎さま、田中将人さま、ご恵存賜りありがとうございました。    マックス・ウェーバーは、ヒットラーの全体主義政権を見る前に亡くなりましたが、ウェーバーの晩年の政治理論は、大統領に大きな権限を集中させる「人民投票的指導者民主主義」(ライヒ大統領制)を支持するものでした。それは、カリスマがトップに立つシステム(カリスマ的支配による政治システム)ではありませんが、次のような特徴をもちます (34) 。   ・大統領は国民によって選出される。その任期は 7 年以上。 ・大統領は、議会の立法に対しても、大きな影響力を行使できる。 ・大統領は、すべての官吏を任命できる。 ・大統領は、恩赦の権利を持つ。 ・大統領を解任するには、選挙人の 10% のイニシアティヴとレファレンダムで可能。    このような政治システムは、ヒットラー政権を可能にするかもしれません。ではどうすればよいのか。  全体主義の反省から、バーリンは、多元的民主主義のシステムを展望しました。それはあまり明確なビジョンではありませんが、私が考える「自生化主義」と似ています。すなわち、人間はいかに生きるべきか、自分でよく分かっていない、という前提で政治システムを考えるということです。もし「いかに生きるべきか」について分かっている、すなわち、「善き生とは何かが分かっている」という前提で社会を運営すると、権威主義の社会になってしまう。だから人生の目的をわきに置いて、あたかも子どもが遊ぶように、人生を楽しめるような社会にする。「いかに生きるべきか」を問わないで、よい政治、よい人生を考えようというのが、バーリンの発想です (188) 。  そのような社会は、多元的な民主主義になるでしょう。そしていろいろな模索をする社会になるでしょう。  トクヴィルの場合、発想はもっと大人ですね。どんな社会がいいのか。各政党にビジョンを出していただいて、競い合っていただく。トクヴィルによれば、しかし政党には「偉大な政党」と「矮小な政党」があり、いずれも長所と短所があるというのですね。(松本礼二訳、トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第一巻、下 13 頁、岩波...

■「共感」について

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坂本達哉『「共感」の思想史』岩波新書    坂本達哉さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    「共感」という感情をベースにして「よい社会」を作ろうという課題は、私たちが、たんに「利己心」や「啓発された(利他性を考慮に入れる)利己心」をベースに社会を作っていくことのオルタナティヴとして位置づけられます。 共感をベースにして作られたルールは、利己心をベースにして作られたルールとは異なるはずです。ではどう違うのか。もしかすると、あまり違いはないのかもしれません。これは、 J.S. ミルが、共感論と正義論を矛盾なく接続していく過程で、すでに統合されていたのかもしれません。 「啓発された利己心」は、共感をベースにして、他者の利益を考慮することができます。望ましい「正義」の基準も、この啓発された利己心と共感の感情から、提示できるかもしれません。 本書の終章で紹介されているように、フライシャッカーは、ヒュームを「情動的共感(エンパシー)」論の代表者として位置づけ、スミスを「認知的共感(エンパシー)」の代表者(体系的に再構築した人)として位置づけました。認知的共感は、暖かい思いやりに欠ける一方で、啓発された利己心と両立します。また認知的共感は、内集団を超えて、外集団に対して共感していく力を発揮します。共感できない外国人を排除するといった、自国民中心主義を避けることができるでしょう。 ただし、スミスは認知的共感論から、高貴な祖国愛を求める一方で、世界人類愛のようなグローバルな次元の認知的共感については、あまり現実的ではないと考えたようです。それでも私たちの時代は、すでにメディアを通じて、世界中の出来事に触れることができます。 21 世紀の私たちの認知的共感は、経験的な次元でも、世界市民を形成する基盤になるかもしれません。 アマルティア・センは、スミスの共感論をあまり評価しませんでした。センはむしろ、スミスの「公平な観察者」に注目して、ナショナリズムを克服することを展望しました。しかし私たちは、スミスの認知的共感論を理論的に拡張して、世界市民になることができるのではないでしょうか。そのようなメディア環境が生まれているのではないでしょうか。公平な観察者の基準も、最適な認知的共感の基準も、いずれも変化していくでしょう。ではこ...

■下からの権威主義

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ラヴィーシュ・クマール『声を上げる自由 インドの民主主義と文化と国家について』倉田夏樹訳、湊一樹解説、作品社   作品社編集部さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    インドのモディ政権の下で、自由がしだいに奪われていく現実を、ジャーナリストの視点で生々しく描いています。とても深刻だと思います。米国トランプの政権においては、 2026 年、「報道の自由」の米国の世界ランキングが、 7 ランク下がって 64 位になりました。インドにおいては 2025 年のデータですが、報道の自由は、 180 カ国中 151 位です。インドの方が、かなり低いです。  インドで、「 IT 部隊」という言葉があります。オンライン上で、モディ政権のプロパガンダ活動を行う人たちを指します。ある人が政権を批判すると、この人たちに批判されて、「反インド、反宗教、野党の回し者」などと罵〔ののし〕られてしまうのですね。この IT 部隊による批判活動はすさまじい。だからメディアは批判を恐れて、政権の「御用メディア」にならざるを得ない、というのですね。  なるほど、これは「下からの権威主義」ですね。  モディ政権以前は、もっと自由でした。ところか最近では、マスメディアで政治を客観的・中立的に報道してきた人たちも、 IT 部隊に批判されて、自由な報道ができなくなった。モディ政権を支持する報道をするか、そうでなければ会社を退職せざるを得ないのだと。   IT 部隊は、 SNS を用います。ワッツアップ(日本の LINE のような SNS )で、言論をパトロールしています。モディ政権を批判する人を、誹謗中傷します。だから人々は、ワッツアップなどの SNS で、自由な言論活動ができなくなる。 これはしかし、 SNS の言論空間をどのようにデザインするかという問題でもあります。批判者に対する誹謗中傷が拡散しないように、 SNS の運営会社が工夫する必要がありますね。そうしないと、実質的に自由な言論活動ができなくなってしまう。  著者は 2018 年に、雇用問題をめぐって、あるテレビ番組を作りました。公務員の採用試験に、何百という求職者が応募するのですが、募集人数は極めて少なく、しかも採用までに四年間もかかる。こういう現実を報道すると、インドでは報道し...