■AIが作った曲は誰のもの?
デイヴィッド・ベロス / アレクサンドル・モンタギュー『著作権全史 古代ギリシアから AI 時代まで』小佐田愛子訳、作品社 作品社編集部さま、ご恵存賜りありがとうございました。 本書は、著作権の歴史を鳥瞰しています。著作権をどの範囲で認めるかは、その権利の設定が、さらなる文化的発展を促すのか、という問題に依存するのでしょう。生産者たちが、ますます豊かなものを生産するインセンティヴをもつ。そして消費者も、ますます豊かなものを消費するインセンティヴをもつ。そのような関係を築けるのかどうかにかかっています。 では、生産者の生産インセンティヴを刺激して、消費者の消費インセンティヴを挫く場合はどうでしょう。反対に、消費者の消費インセンティヴを刺激して、生産者の生産インセンティヴを挫く場合はどうでしょう。著作権は、最終的にはバランスで決めることが望ましい。けれども実際には、そのバランスが分からない(不確定)なので、その時々の政治の権力関係によって、既得権層が儲かる仕組みになる、といったことが生じるのでしょう。 例えば、ドレスや靴の美的なデザインは、著作権を設定してもいいように見えますが、それが「もっぱら実用品のデザイン」として用いられる場合は、著作権を設定できないのですね。ところがこの基準は微妙で、実際に裁判で認められる著作権の範囲は、振れ幅が大きい、というのですね。 (254) あるいは AI が作った曲ですが、これはいまのところ、著作権を登録した人が、その著作権を持つ。この場合の著作権の設定は、問題を「一時的に回避する策」と言えそうです。権利といっても、誰が権利を所有するのかについて答えがない問題に対する「回避策」として、暫定的に設ける権利だと。そのような暫定的な権利も、制度的に正当化されるのですね。 本書は最後に、「もし翻訳権(翻訳書に対する原作者の著作権)が設定されなかったとしたら、世界はどうなっていたか」という問いを検討しています。興味深いです。本書は言及していませんが、そうなるとおそらく、読者は自国の作家が書いた本よりも、他国の作家が書いた本を読むようになるでしょう。翻訳本の方が割安だからです。すると世界は、もっと人々のあいだの心理的な距離を縮めていたかもしれません。