■ウェーバーと仕事人間






マックス・ウェーバー『仕事としての学問/仕事としての政治』野口雅弘訳、講談社学術文庫

野口雅弘さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 ウェーバーは「職業政治家」という言葉を、広い意味で用いていて、とくにこの文脈では「政治家兼新聞記者」というカテゴリーに近いというのですね。
 今回、これまで「職業」と訳されてきたBerufを「仕事」と訳した、ということですが、こうすると「ワーカホリック」という仕事中毒的なニュアンスがたしかに掴めますね。また、職業人よりも「仕事人間」のほうが、使命感というか、職務に対する異常なまでのコミットメント感がでるような気がします。もっとも「仕事人」と表現するならば、それは仕事ばかりしている人ではなく、何らかの手仕事にこだわりを持ってコミットメントしている人、という感じですかね。
他方で仕事と訳すと、「職業」が「天職」に転じるというニュアンスが出ませんね。仕事のほうがもっと一般的で、短期的なアルバイトも仕事ですからね、ウェーバーのいうBerufはそのような一時的なものは含めなかったのではないかとも感じました。
 「仕事人間」といえばワーカホリック的なニュアンスが出ますが、ウェーバーがそのようなニュアンスを含めたのは「資本主義の精神」という用語においてであり、「Berufsmensch」にはそのようなニュアンスは含まれていないかもしれません。「ぼくたちは仕事人間たらざるをえない」というのは、本当でしょうか。この文脈では、ぼくたちはロマン主義的な全人になることをあきらめて、一つの分野の専門を追求する職業人たらざるをえない、という意味になるのではないかとも思いました。ここらへんは解釈について議論できると嬉しいです。

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