■最小国家よりも小さい、最小連邦制国家
蔵研也先生、2007年にご恵存賜りました。そして先日は、シノドス・トークラウンジにご登壇いただき、ありがとうございました。
2007年に、私なりにご高著にコメントを記しながら拝読したのですが、今回、再読して、この本のオリジナリティが、別の観点から見えてきました。
ノージックのいう「最小国家」が成立するためには、警察と裁判のサービスを担う「保護協会」が、すべてのメンバーを包摂することが必要です。もしすべてのメンバーを包摂していなければ、最小国家は不完全であるといえます。もし2割くらいのメンバーが包摂されていなければ、それはアナーキーと呼べるでしょう。
しかし本書は、アナーキーな社会で、いわば「最小連邦国家」のようなものが生まれる可能性を論じているのだと思いました。警察と裁判のサービスが、いくつかの民間企業や個人によって担われているとします。すると、それぞれ警察権力と裁判サービスにおいて、複数の結果が出るので、それを調停する仲裁会社が出現すると考えられます。
もしかすると仲裁は、うまくいかないかもしれません。しかし本書は、社会の進化の過程で、その仲裁がうまくいくと想定するのですね。
この仲裁は、それぞれの裁判サービスが前提とする法体系の、いわばメタレベルに法体系を築いていくでしょう。もし、ある仲裁会社がすべての仲裁サービスを独占するなら、法は、メタレベルで統合されたことになります。しかしこれは司法レベルで国家が誕生したといってもよいのではないでしょうか。もはやアナーキーな社会ではありません。
ここで仲裁会社は、いわば連邦制国家のようなものであり、個々の警察サービスや裁判サービスは、個々の国家を意味するかもしれません。
もし仲裁会社が、仲裁のための一つの法体系を発達させるのではなく、仲裁する際に、貨幣的な取引(正義のオークション)を求める場合はどうでしょうか。本書では、そのような正義のオークション制度について検討がなされています。
正義のオークション・システムでは、ある裁判で勝訴したいなら、相手の裁判サービス会社(あるいは個人)に、オークション・システムで合意が成立するであろう一定の貨幣額を支払うことになります。敗訴する側は、その額を受け取ります。これはいわば金で和解するようなものです。正義のオークションでは、お金を支払って勝訴するか、敗訴してお金を受け取るか。いずれかの結果を享受することになるでしょう。
しかしこの正義のオークションが成立しない場合は、アナーキーな対立が続きます。本書では、正義のオークションが必ず成立すると想定し、もしこれを拒否する場合にはサンクションを課すという、一定の強制力を想定しているようにみえます。
正義のオークションは、国家が一定の法体系をもつことを拒否します。社会のなかにはいくつかの法体系があり、もし判断が異なる場合は、それぞれの判断の当否を、お金を積んで決める。このオークション・ルールのみを共有するという点で、きわめて薄い法の支配になるでしよう。
しかしこのような正義のオークション・システムにおいても、法の支配が貫徹されているのであり、一定の司法判断が下されるのであり、それは連邦制国家の成立と呼んでよいのではないでしょうか。これはアナルコキャピタリズムを超えていると思いました。