■福田徳三の生存権論は、すでに卓越主義的だった
西沢保『福田徳三 経済学の黎明と展開』日本経済評論社 西沢保さま、ご恵存賜りありがとうございました。 評伝・日本の経済思想の一冊です。コンパクトな紹介になっています。 福田徳三 (1874-1939) は、 55 歳で亡くなられたのですね。 24 歳からの約 30 年間で、単著を 37 冊も出版するという偉業を成し遂げました。この他にも福田は、ブレンターノとの共著『労働経済論』を出版されているのですね。また、ブレンターノとの書簡も、後に翻訳され、刊行されています。 私は先月で 56 歳になりましたので、この福田の達成と比べて、私になりが足りないのかを自問します。ざっくり言って、福田は私の三倍の研究量なので、これはいったいどのよういうことなのか。想像を超えています。 福田のように精力的な研究者が、なにを後世に残したのか。まだその全貌が分からないので、これから大いに学びたいと思います。 本書を読んで興味深かったのは、 1904 年に、福田は突然、東京高商から休職を命じられるのですね。ある問題をめぐって、当時の助校長と衝突して、罵倒したことが発端になったのだと。それで福田は、翌年から慶應義塾大学の教員になった。 このころ、福田は一時、鎌倉に住んで、円覚寺に参禅した、というのも興味深いエピソードです。 福田の休職の背景には、福田が自由主義の観点から、政府の財政政策を批判して、そしてまた、自由貿易を主張した、ということがあるのですね。それで福田の論文や講義には、「スパイ並みの徹底的な監視」があった、というのですね。「桂伯爵によるスパイ支配」が終わるまでは鎌倉に滞在しようと。 その隠居中に、弟子の上田貞二郎が、鎌倉に福田を訪ねます。ところが福田は、上田がスパイではないかと思って、殴ったのですね。当時はこのように、人間関係が極めて政治的で暴力的で、そういう中で自分の学問的権威を打ち立てなければならない。そのためには、とにかく「経済学概論」とか「経済学大全」のような、体系的な書物を書いて、敵対する人たちにも認められることが重要だったのではないか、と思いました。 もう一つ、福田徳三は、日本では福祉経済学の父と言われたりしますが、ホブソンと同様に、ピグーの厚生経済学に対しては批判的で、人格主義(現