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8月, 2024の投稿を表示しています

■ローカル・コスモポリタニズムという立場

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    有賀誠 / 田上孝一 / 松本雅和編『普遍主義の可能性 / 不可能性』法政大学出版局 上原賢司「正義の探求にあたってコスモポリタニズムはもう不要なのか ? 」   上原賢司さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    グローバル正義論には、これまで三つの波があったのですね。 第一の波は、ロールズ『正義論』とウォルツァー『正しい戦争と不正な戦争』。いずれも 1970 年代の著作で、これに対する批判的な応答によって、当時の議論が盛り上がりました。 第二の波は、 1990 年代から 2000 年代にかけて。 そして第三の波は、 2010 年代以降の現代になるのですね。具体的に、グローバル正義論では、貿易問題、気候正義、移民倫理学、人権、領有権、などが議論されています。  私が拙著『帝国の条件』を世に問うたのは、 2008 年でした。この本は、 2001 年の 9.11 テロ事件を受けて、グローバリズムと反グローバリズムの思想と現実を考察したものでありました。これは、グローバル正義論の第二波に当たるのですね。  興味深いのは、第二波の段階では、「コスモポリタニズム」と「反コスモポリタニズム」という思想的対立が論じられたのですが、第三の波になると、すでにコスモポリタニズムが前提とされていて、もはやこの言葉を用いる必要がないくらいなのですね。  現在の議論では、「グローバルな正義」というのは、コスモポリタンな考え方をもっていなかったり、あるいは、そのような生き方をしていない人に対しても、重要な意義をもっている。ローカルな生き方をしていても、移民を受け入れるべきだと思っている人はいますし、また移民に対してどう接するべきかについて、一定のグローバルな正義感覚をもっていることが多い。つまりコスモポリタンでなくても、グローバル正義に合意できるという、そういう状況が生まれている。確かに、これは事実だと思います。  こうなると、コスモポリタニズムの理念は、グローバル正義とは別のところで、その役割を発揮しないといけないですね。例えば、サステナブル都市の担い手になるとか、災害時に諸外国を救済するとか、そのような実践に即して論じられるテーマかもしれません。そのようなコスモポリタンは、必ずしもローカリズムに反対せず、むしろローカルな社

■子供の教育にもっと投資を

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    古市太郎『経済社会学から考える現代の地域協働』八千代出版   古市太郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   日本の家族形態は、ずいぶん変化しましたね。 1980年の段階では、夫婦と子供からなる世帯が42 . 1%で一番多かった。 ところが2020年には、これが25%に減る。代わって、単独世帯が38%で一番多くなったのですね。 また1989年の段階で、共働き世帯の割合は42 . 3%でしたが、2019年には66.2%になったのですね。大きな社会的変化です。 興味深いのは、「外食率」と「食の外部化率」です。 1990年以降、外食率は、少し減っています。これに対して食の外部化率は、少し増えている。しかしいずれも、それぞれ 35-40%,40-45% の範囲内なので、あまり変化していませんね。これは私たちの食生活が、1990年以降、あまり変わっていないことを示しているでしょう。変化が大きかったのは、1975年から1990年にかけてでした。 大学等進学率は、全世帯でみると、大学と専修学校を合わせて73%ですが、生活保護世帯では、これが35.3%なのですね。2017年のデータです。 (47) ひとり親家庭の場合、大学等進学率は、上昇しています。2003年には43.2%でしたが、2015年(ごろ)には58.5%に上がっている。児童養護施設の子どもの大学等進学率も、少し上昇傾向がみられます。 ひとり親家庭、生活保護世帯、児童養護施設、この三つの家庭で、子どもたちが教育において不利な立場におかれないためには、何をすべきなのか。子供の貧困率を下げる、子どもの教育に投資する。そのような政策がもっと必要だと、改めて思いました。

■セントラル・パークの思想は自生化主義?

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    小川(西秋)葉子 / 太田邦史編『生命デザイン学入門』岩波ジュニア新書   小川葉子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    ニューヨーク・マンハッタンのセントラル・パークが、どのようなコンセプトでつくられたのかが分かりました。  ヨーロッパで「ガーデン」や「スクエア」とは、貴族制とともに発展したのですね。ある階級に属した人でなければ、利用できなかったのですね。しかしニューヨークでは「公衆衛生学」と「進化論」と「オープンスペース運動」が合体して、セントラルパークが建設された。これは公共的な運動だったのですね。 この公共運動は、都市に「肺」と「換気装置」を作る、という理念だったのですね。植物学や生物に詳しい知識人たちが、当時の公共性の言論をリードした、というのも興味深いです。 背景にあるのは、ユートピア的社会主義と、設計主義的ではない「自然なデザイン」の探求です。「自然の地勢を活かす」ということですね。あるいは「左右対称にしない」というのもコンセプトの一つです。 それから「超絶主義」。文明社会というのは腐敗・退廃している。だから超絶主義の考え方が必要。文明社会とは異なる「野生や天然の景観」を礼賛する思想が必要だ、と考えられたのですね。これはエマーソンやソローの考え方ですね。  ニューヨークのセントラル・パークの建設運動は、私が「自生化主義」と呼ぶ考え方と似ていると思いました。