投稿

2月, 2025の投稿を表示しています

■重商主義と古典的自由主義の違いは微妙

イメージ
山本英子『グラスランの経済学  18 世紀における主観価値論の先駆者』早稲田大学出版部   山本英子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   ジャン・ジョセフ・ルイ・グラスラン (1727-1790) 。正しい発音ではグララン。彼はフランスの経済学者で、アダム・スミスと同時代人ですね。亡くなった年が同じです。スミスの方が四歳年上でした。  グラスランは、ほとんど忘れ去られた経済学者ですが、職業は、ナントの総徴税官だったのですね。当時のフランスで支配的だった経済学説は、フィジオクラート(重農経済学)の理論でした。これに対してグラスランは、重商主義的な関税政策を提唱します。しかし実際には、グラスランが提案した関税は、土地だけでなく奢侈的な消費に対して課税するための手段であり、必ずしも一国ナショナリズム的な発想に基づいていないのですね。その意味では、重商主義というよりも、自由市場経済主義であり、ただ、どこに課税するかという問題ですね。グラスランは、あまり生産的ではないにもかかわらず奢侈な消費をしている貴族たちに課税することが、一国の富を増大させる、と発想したのですね。  この奢侈的な消費に対する消費税という発想は、グラスランが徴税の仕事を専門にしていたこともあって、実際に導入すれば機能したでしょう。非現実的だといった批判は当たりません。当時は、富裕層がどれだけの所得を得ているのかを把握することは、とても難しかった。しかし富裕層は、その地位にふさわしい消費(地位消費)をする。そうしないと、自分の社会的地位を維持することができないからです。そのような社会規範があった。だから、生命維持に必要な基本財には消費税を課さずに、奢侈財に対して消費税を課すことができたし、それが相応しかった。消費税を課しても、高い地位にある人たちは、自分の地位を維持するために「地位消費」を続けるからです。具体的に、奢侈財の原材料を輸入する際に、関税を課す、というのですね。  そしてこの課税で得た収入によって、国内の製造業を支援していく。これは、一見すると重商主義ですが、解釈の仕方によっては、自由市場経済のための消費税制度であり、スミスの場合も消費税に賛同していましたから、古典的自由主義として解釈できますね。  このように解釈してみると、重商主義と古典...

■北海道の戦後の馬取引は、ひどかった

イメージ
  松浦努『馬喰の流通経済学的研究 北海道蘭越町・八雲町・七飯町の事例を中心として』北海学園大学出版会   松浦努さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    本書は、敗戦後の北海道における「馬の市場取引」に関する、聞き取り調査に基づく研究です。馬の取引は、 1960 年前後をピークに流通したのですね。しかしいまはほとんど流通していない。戦後の馬取引の実態が、多くのインタビューから鮮やかに解明されています。経済史のすぐれた研究です。  研究の手法が徹底的であることにも感銘を受けましたが、何よりも、対象としている市場取引がとても興味深い。これは馬の売り買いの話なのですが、あまりにもひどい取引ですね。 馬を農家に売る、あるいは農家から買う商人を、「馬喰(ばくろう)」といいます。馬喰は、とてもひどい。たんに安く買って高く売るというだけでなく、これはもう、ほとんど農家の人たちをだまして儲けているわけです。市場経済がいかに非倫理的で、共同体の外部に存在していて、信用のならないものなのか、ということがよく分かります。 これはそれほど昔の話ではありません。戦後の話であり、現在の 70 代、 80 代の人たちが、実際に経験した取引であります。  経済学的には、この馬取引の市場は、農家と商人(馬喰)のあいだに、圧倒的な情報の非対称性があるという観点から説明されるでしょう。農家の人たちは、馬を見ても、それが病気なのかどうか、分からないで取引せざるを得ない。また農家の人たちは、馬を売るときに、馬がどれだけの市場価値をもつのか、分からないで売るしかない。とにかく情報が流通していない。非対称である。馬が病気で使えなくなるリスクを保障する仕組みもないわけです。  いずれにせよ、 1960 年代になると、しだいに近代農法が広まって、馬の代わりに、トラクターで農業をすることになります。しだいに馬は不要になります。 しかしそれ以前の農家の人たちは、馬を使って農耕していた。そして馬喰にだまされて馬を売買していた。これは、当時の市場経済が成熟していないことを示していますが、と同時に、市場経済を克服する社会主義経済の理想が、当時においてなぜ魅力的にみえたかを説明するように思います。  蘭越町の馬の飼養頭数の推移をみると、 18...