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■言いっぱなし、聞きっぱなしでいい

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  横道誠/だいまりこ『空気が読めない大学教員と自己嫌悪の YouTuber はみずからのコミュニケーション困難にどう向き合ってきたか チームワークが苦手な人へ』翔泳社   だいまりこさま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    本書は、東京中延の隣町珈琲で、全六回にわたって開催されたトークイベントの内容をまとめたものですね。楽しく読みました。 イベントでは毎回、二人のトークに加えて、参加者の方々の質問に答えるコーナーがあります。イベント全体のテーマは、コミュニケーションの困難です。 例えば、コミュニケーションの困難を克服するための、自助グループがあります。自助グループでは、「アノニマス系」という組織の作り方があります。アノニマス系とは、ある特定の人が権威的な存在にならないように、他人の言ったことに対して、「同調」したり「反発」したりせずに、「言いっぱなし、聞きっぱなし」にするのですね。 もし誰かの発言に誰かが応答すると、そこに是認 / 否認の関係が生まれてしまう。これはミクロな次元で、権威が発生する場面です。そのようなミクロな権威の作用を、完全に避けようというのですね。言葉によって、誰かを魅了したり非難したりする人間関係を、いっさい生まないようにするのだと。  このやり方のいいところは、それまで話すのが苦手だった人が、すらすら話すことができるようになる点です。自分で自分のことを口に出して、それで自己認識を新たにすることができます。このようなアノニマス系のコミュニケーションは、日常生活においても示唆的です。  別のトピックで、例えば SNS で一回しか会ったことのない人から、ダイレクトメッセージがたくさん送られてくることがあります。これをブロックしていいかどうか、という問題が論じられています。その答えは、ブロックしていいと。そして「来世ではご縁がありますように」とお祈りする。これが横道さんの提案なのですね。とても豊かな考え方だと思いました。  他者とのコミュニケーションは、困難ばかり。すべて誠実に対応していたら、自分のなすべきことができません。そういうジレンマに陥ったときに、どんなコミュニケーションをすればいいのか。それは、他人に承認や是認を求めずに、言いたいことを口にする。そういう一方通行...

■親友家族を認めてよいか

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  阪井裕一郎『結婚の社会学』ちくま新書   阪井裕一郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    子どもを産み育てるためには、まず結婚しなければならないという慣行があります。しかしこの慣行が、かえって日本の少子化を助長している。結婚してから子どもを産まないと社会的に不利になる、という現状に問題があるのですね。 ではどうやって、家族制度を変革していけばいいのでしょう。  本書は、結婚をめぐる理論と歴史について、一通り検討しています。このテーマの入門書の決定版です。   2017 年に、アイルランドで、次のような結婚(同性婚)が話題になりました。一方は、 83 歳のマット・マーフィーさん。もう一方は、 58 歳のマイケル・オサリバンさんです。いずれも男性です。歳の差は 25 歳。二人は同性婚をしました。 二人はそれまで、長く親友関係にありました。恋愛関係はありませんでした。しかし二人は、ついに結婚します。愛し合っているからではありません。 83 歳のマーフィーさんは、 58 歳のオサリバンさんに、老後のケアしてもらいたいのです。その代わりに、不況で仕事とアパートを失ったオサリバンさんは、マーフィーさんの死後、家を相続する予定です。このような「ケア」と「相続」の友情契約に基づいて、二人は結婚しました。  二人は結婚しなくても、いっしょに暮らすことができたでしょう。しかし結婚しないと、オサリバンさんはマーフィーさんの家を相続することが難しい。高額の譲渡税が課せられてしまいます。二人は、譲渡税を免れるために結婚したのですね。 このような結婚は、「同性婚」の悪用でしょうか。そもそも結婚というのは、性的な意味で愛し合った二人がするものだから、友情にもとづいて財産を譲渡したい / されたいという理由で結婚するケースは、認められるべきではないでしょうか。  しかし「友人関係」と「家族関係」の線引きは、難しい。同性婚ではなくても、異性婚でも、友人関係に基づく結婚という同じ問題が生じます。 家族とは何か。どんな家族を認めるべきか。この問題は、法制度や行政制度の問題だけでなく、ある企業が「家族割」などの割引によってビジネスを展開する際にも、重要な関心事になります。企業は、「家族」の定義を拡大して、消費者たち...

■ハイエクの本質は非本質主義

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  太子堂正称『ハイエク入門』ちくま新書   太子堂正称さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    ハイエク研究のまとまった入門書です。分厚いですが、とても読みやすく、どんどん読み進めることができます。  ハイエクは、登山、ハイキング、スキー、演劇、写真、音楽鑑賞などを趣味としていたようですが、音楽の守備範囲については、後年に至るまで、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスまでだったようですね。 ハイエクと同時代のウィーンでは、ブルックナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、シェーンベルク、ウェーベルンなどが活躍していました。こうした当時の「前衛」に、ハイエクはあまり興味がなかったのですね。アドルノとは対照的です。 私たちは、現代の前衛的な現代音楽を聴くかどうか。ハイエクが現代に生きていたとしたら、聴かなかったでしょうね。しかし私はこの歳になっても、前衛音楽を聴いています。ここら辺が、私とハイエクの大きな違いかもしれません。 本書で気になったのは、 405 ページで、新自由主義について論じられている箇所です。松尾匡によれば、近年の日本において、「上位下達的な民営化や民間委託、規制緩和、財政削減、国際的な市場統合といったさまざまな政策は、実際には非ハイエク的であり、むしろ彼が批判対象としたものであったと喝破している。」と。そして太子堂さんは、これは「大変重要な指摘である」と評価していますが、私はそうではない、と思いました。しかしこの点は、松尾匡先生の本を読んでじっくり検討しないといけないですね。 本書は、ハイエクの思想が本質主義的なものではない、と主張します。つまり、ハイエクの思想は、時代と場所が変れば別の含意をもつはずで、新しい含意を引き出しうる、ということですね。そのような点に、ハイエクの思想の魅力と生産性がある。これはたしかに、その通りだと思います。 各種の民営化や民間委託が、なぜハイエク的な政策ではないのか。ハイエク的にこれを進めるためには、何が必要なのか。ハイエク的に進めた方が、望ましいのではないか。このような議論の検討が必要でしょう。  

■経済原論を刷新する野心作

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  海大汎〔ヘ・デボム〕『労働者 主体と記号のあいだ』以文社   海大汎〔ヘ・デボム〕さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   二作目ですね。宇野派経済学の理論的発展を示すと同時に、根源的なところでは、宇野経済学とは別の原理を導入して、「経済理論」を拡張していると思います。とても粘り強い考察であり、体系的に理論を刷新するという野心をもった、きわめてすぐれた成果であると思います。 へデボンさんは、もともと韓国で、日本語が読めない段階で、柄谷行人の『世界史の構造』の韓国語訳を読み、それで宇野派の存在を知ったのですね。そしてそこから、日本語をマスターして、宇野派の経済学を理論的に発展させた。これは日本のアカデミズムにおいて、特筆すべき達成ではないかと思います。  この本の序論で、各章の内容がまとめられています。しかしこの序論を読んだだけでは、理論的に何を達成したのか、よく分かりません。読者は各章を読むしかありません。序論は、もっと専門的に書いてもよかったのではないか、と思います。  理論的な想定として、私は本書の「労働者」の規定とは別の考えを持っています。第一に、本書は、労働者が「なんでもつくれる」といっても、それは人間の本然の諸能力の範囲内で「何でもつくれる」にすぎない、と規定しています。これは誤っていると思います。人間は、そのような「本然の諸能力」を超えることができますし、できるからこそ、文明を発展させてきたのだと思います。これは、アマルティア・センのケイパビリティ概念についてもいえますが、人間の能力をある能力の束として捉えることは、やはりリアルではない。人間は、自分が知らない能力 = 潜勢力をもっているし、私たちが本然的だと想定している能力を超えた潜勢力をもっている。このように想定することが必要ではないでしょうか (56 頁参照 ) 。  労働力は、たんなる定型的な生産手段ではない。そこには、資産、資本、資源、といった、不定形な経済的投入物、というイメージがあると思います。本書は、労働者を「資源」とみなすことが相応しいと主張しますが、このように規定する段階で、資本の運動に捉えられない労働者、例えば学校の先生などは、資源をもつ存在ではない、とみなされるでしょう。ある労働者は、資本に取り込まれるのか、それ...

■人口が半減する社会を想像しよう

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遠藤薫編『人口縮小 ! どうする日本 ?  持続可能な幸福社会へのアプローチ』東京大学出版会 遠藤薫さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。  ローマクラブが 1972 年に発表した報告書「成長の限界」は、 21 世紀の中盤に、世界人口が急激に増えて、その後、いっきに減少するという予測でした。そのような局面で起きることは、粗死亡率の急激な上昇と、同時に、粗出生率の急激な上昇だと考えられました。食糧危機のため、人々が死んでいく。そしてその死亡を補完するかのように、出生率が急上昇する。たくさん生まれて、たくさん死んでいくというシナリオだったのですね。  明治維新 (1868) の頃の日本の人口は、 3300 万人でした。 2100 年には 6000 万人程度になると予想されていますが、その後は、その半分、つまり明治維新の段階に戻ることも視野に入れないといけませんね。  いま、日本の出生率を上げるために考えるべきことは、家族主義の呪縛です。 現在、比較的少子化に歯止めがかかっている北欧諸国では、婚外出生率が50%前後です。ところが日本や韓国は、このような婚外子が、極端に少ない。結婚による家族形成を前提としないと、子どもを産むことが難しい。そのような倫理的制約が、厳しい少子化を招いている可能性があります。  女性が家庭に留まる家族主義のほうが、少子化に苦しんでいる。反対に、男女共に働く社会の方が、少子化に歯止めがかかっている。だから日本は、家族主義的な制度を解体して、男女共働きで子供を産み育てる社会にしていくべきだ、ということですね。  

■課税制度と企業行動の関係について

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櫻田譲『租税と企業行動』税務経理協会   櫻田譲さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   まずこの本の表紙と裏表紙の写真がいいですね。表紙は、ネオワイズ彗星、裏表紙は、北大のポプラ並木を前景とした星の動き(とくに北斗七星)です。いずれも櫻田先生が撮影したのですね。すばらしい作品です。  彗星を撮影するときに、カメラに内蔵されているアストロレーサーによって、対象を自動追尾することができるのですね。それでこのような美しい写真が撮れるとは、いいですね。  そしてこの本の最後に、彗星の話が出てきます。ネオワイズ彗星が今度地球に接近するときは 5,000 年後です。そのときの会計や税のシステムに思いをはせるというのは、ロマンがありますね。研究というのは、まさにこのような時間の流れのなかで進みます。 5,000 年後を展望する。このような感覚は、櫻田先生の研究のスタイルにも表れているでしょう。  本書の内容についてコメントします。  一般に、研究開発費を増額すれば、そしてその比率を増やせば、企業は長期的に成長するだろうと言われます。しかし研究開発費の比率が高すぎると、投資家はかえって悲観的になるでしょう。反対に、この比率が低いと、投資家たちは、今後はその比率が高くなると期待できる、と楽観するかもしれません。本書の第一章は、そのような仮説を実証しています。  興味深いのは、企業の研究開発比率が高くなるのは、借入金が少ない場合だ、ということです。他方で、取締役会の構成メンバーの平均年齢が高くなると、研究開発費が上昇するのですね。より長期的な観点から会社の将来を考えることができるようになる、ということですね。  「ふるさと納税」については、納税する人の関心が、しだいに子育て支援や災害復興支援から遠ざかってきた、ということが実証されています。 私は昨年、「ふるさと納税 2.0 」という論稿を、『税務弘報』 (2024.11.) に寄せました。ふるさと納税は、子育て支援という目的をもった方向に、制度全体を修正していくべきだ、と考えています。 すでに子育て支援のための施設を十分に作った自治体は多いと思いますが、今後は例えば、教育クーポン制度(塾への補助)を導入するための資源として、ふるさと納税を位置づけることもでき...

■ウクライナ戦争の本質はプーチンの自己保身

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    井上達夫『悪が勝つのか?――ウクライナ、パレスチナ、そして世界の未来のために』信山社 井上達夫さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    本書はウクライナ戦争について、正しい見方を示していると思います。第一章の扉で、ウクライナ外務大臣クレーバの言葉からの引用があります。「持続的で耐久性のある平和は、ロシアが戦場で大敗北を喫した後にはじめて可能になる」と。  そうなのだと思います。  この戦争は、西側に非があるのではなく、プーチンの自己保身戦争である。プーチンにすべての非がある。だから西側は、ウクライナを全面的に支援すべきであり、どこかで妥協して和平に持ち込むならば、今後、同じような戦争を仕掛けてくる国が現れるだろう。すると世界は、もっと平和から遠ざかるだろう。そのように推測することが正しいと思います。  最近、西谷修著『戦争と西洋 西側の「正義」とは何か』筑摩叢書が刊行されました。私は書評する機会を得たのですが、西谷先生は、西側が強く出すぎていると言って、西側諸国を牽制します。井上先生とは正反対の見方です。  この間、興味深いのは、ハーバーマスの見解です。 本書で井上先生は、徹底的にハーバーマスを批判しています。ハーバーマスは、八方美人な見解を示すのですね。ロシアに譲歩して和平を達成すべきだけれども、ウクライナは自国の領土をロシアに割譲すべきではないと。しかしどうすれば、そのような理想的な和平案を示すことができるでしょうか。  誰もそのような和平案を思いつくことができない。そのような和平案は存在しない。ウクライナがロシアに領土を割譲しないのであれば、私たちは、徹底的にロシアに圧力をかけざるを得ません。  かりにロシアに対して、ウクライナの四つの州のすべてを割譲しても、ロシアは戦争をやめないでしょう。プーチンは保身のために、戦争を継続する十分な理由がある、と考える方が正しいでしょう。  とても説得力のある見方だと思います。