投稿

4月, 2023の投稿を表示しています

■MMTはどこまで財政赤字を正当化するのか

イメージ
    ジェラルド・エプシュタイン『MMTは何が間違いなのか?』徳永潤二/内藤敦之/小倉将志郎訳、東洋経済新報社   内藤敦之さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。 また昨年は、徳永潤二先生に、本書をめぐってシノドス・トークラウンジにご登壇いただきました。ありがとうございました。     2021 年 12 月の段階で、日本の国債発行残高は 1,000 兆円を超えました。日本政府の債務残高は対 GDP 比で 256.2% 。政府は現在も財政赤字を拡大し続けていますが、いったいどの程度まで赤字を拡大することができるのでしょう。  その限度は存在しないと考えるのが、現代貨幣理論(MMT)ですね。しかしやはり、限界があるのではないか、というのがエプシュタインの議論で、しかしエプシュタインの指摘する限界も結構ゆるいものですね。エプシュタインもMMTの立場を実質的には認めている。  財政赤字に制約を課す一つの基準は、「完全雇用の達成」です。政府は不況時に、完全雇用を達成するための財政政策を行うことができる。しかし好況時には財政出動をやめて、基本的には市場経済の論理に任せるべきである。これがケインズ派の基本的な発想です。  現在、米国の完全失業率は 4% という、歴史的にみてとても低い水準に到達しています。これは実質的に最低と言ってよいでしょう。コロナ感染の拡大時には失業率が高くなりましたが、この 2-3 年で急激に失業率が下がっています。歴史的な視点でみると、完全失業率 4% という状況は、完全雇用が達成された状態とみてよい。そしてこのように解釈するなら、政府はもうこれ以上、財政赤字を出してまで財政政策を実行する理由はないのです。MMTの政策は、正当化されないことになります。  しかし「完全雇用」という基準を、GDPギャップの解消だとか、あるいは非正規雇用の正規雇用化、低賃金の是正、まだ活用されていない労働力の十全な活用、といった意味にまで拡大解釈するなら、話は別です。政府は完全失業率4%という水準を超えて、財政政策を続けることができるでしょう。  さらに、基軸通貨ドルの特権的な地位を掘り崩してもかまわない(国際通貨ドルのシェアを低下させてもかまわない)という立場からすれば、米政府はさらに国債を発行して、さまざまな福祉政策を

■人権を保障するための哲学とは

イメージ
    木山幸輔『人権の哲学』東京大学出版会   木山幸輔さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    これまでの木山さまのご研究の成果が、このような大著として刊行されましたことを、心よりお喜び申し上げます。 テイラー研究会でも、何度かご報告いただきました。懐かしく思います。 本書の草稿段階で、私は詳細に読ませていただきました。そしてコメントをいくつか記してお送りしましたが、その中で、私が中心的な論点だと思ったことを、以下に再掲します。   「ここで二元論における平等概念には、二つの種類があると思います。一つは自分の意見を表明する自由 ( 表現の自由 ) であり、もう一つは福祉権です。前者の表現の自由は、グリフィンのいう規範的主体性から導くことができるように思います。ただし、「政治支配への平等な影響力の行使」という意味での「投票権」は、グリフィンから導くことができません。問題は、表現の自由という権利保障を超えて、平等な投票権を「人権」概念に含めるかどうかです。含めるなら、二元論になるでしょうが、しかしこれを認める立場は、かなり危険な介入主義になると思います。他方、福祉権については、グリフィンのいう規範的主体性の第三の条件から導くことができ、その限りでは一元論に還元できます。そして以上に関する限りでは、私はグリフィンの一元論の立場をとったほうが、人権概念の定義としては、いいと思いました。しかし、乳幼児や重度の障碍者の場合、表現の自由や投票権を行使できないくらい、自分の意志を伝えることに困難があるわけですが、そのような人間存在にも人権を認める必要があるでしょう。その場合の人権は、木山さんがここで展開するデモクラシー論では擁護できず ( というのもデモクラシーに参加する能力がほぼ欠けているので ) 、ロールズのように、基本財としての福祉権に対する例外的な扱いとして認めるような理論装置が必要ではないかと思います。以上が、私の中心的なコメントです。」    今回、改めて、最後の章を読んで、サーチャー型の開発・援助構想 (293) は、現在、最良の理念ではあるけれども、このやり方は結果として、途上国が自由民主主義の体制を築く方向に支援することができないかもしれない、と思いました。その場合は支援する側も、支援を再考しなければなら

■子守歌には悲しみが詰まっている

イメージ
    遠藤薫編『戦中・戦後日本の〈国家意識〉とアジア』勁草書房   遠藤薫さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   軍歌と子守歌の関係についての考察を興味深く読みました。 子守歌というのは、日本では結構新しいのですね。しかも悲しい内容で、どうも子どもを寝かせるための唄というよりも、唄う側が自分の人生の悲哀を昇華するために作られたような側面があります。 夕焼け小焼けの赤とんぼ・・・、にしても、そこで想定されている子守り役のお姉さんは、 15 歳で誰かの嫁になって去っていった。そういう悲しさがテーマになっている。 子守歌は、戦前は歌謡曲としてレコード化され、ヒットしているのですね。なかでも赤城の子守唄はいいですね。 しかししだいに、軍国化とともに、子守唄の内容が検閲されるようになる。子守唄を通じて、当時の母たちは、自分の子どもを戦地に送ることの悲哀を唄うようになるからです。 それにしても不可解なのですが、当時の母たちは、やがて自分の子どもを戦地に送ることになるだろうと想定して、しかも息子は帰ってこないだろうという前提でもって、子守唄を唄っている。すでに戦況が悪化していて、もう勝ち目がないということが、子守唄に反映されていたということでしょうか。子守唄がマイナーコードで歌われることにも関係しているかもしれませんが、不思議で悲しいです。

■ベーシックインカム:国民全員に年間80万円を給付する案

イメージ
    小野盛司『ベーシックインカムで日本経済が蘇る』ミヤオビパブリッシング   小野盛司さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   本書は、ベーシックインカムを導入した際のシミュレーション分析の結果を報告しています。 シミュレーションの前提は、以下のようなものです。    国民全員に、年間 80 万円を給付する。  消費税をゼロ%にする。  公共投資を年間 20 兆円増額する。  所得税を年間 10 兆円減税する。  法人税を 10% 下げる。    以上の前提で、日本経済は実効的に運営できるというわけですね。  「あとがき その 2 」(増山麗奈)で、ベーシックインカム・ポイントという、時間とともに価値が逓減する仕組みの所得も、効果的であると思いました。

■伝統消費型の都市とは

イメージ
    出口剛司/武田俊輔編『社会の読解力〈文化編〉』新曜社   武田俊輔さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    倉沢進は 1968 年の研究で、社会学のシカゴ学派をベースにして、「伝統消費型都市」について論じたのですね。  例えば徳島市のように、かつては城下町・門前町・宿場町という機能をもっていて、ところが近代化によって、何か新しい産業が生まれたわけではなく、行政機関や大企業の支店が設置されるのみで、それでなんとか栄えている、という都市があります。  新しい大きな産業がないので、多くの人々は、伝統的な暮らしを営んでいます。商業部門を支配しているのは、旧名望家層です。そこでは「町内会」が伝統行事を行う上で機能していて、「家連合」とか「全体的相互給付関係」というものによって特徴づけられるというのですね。  こうした伝統消費型の都市は、前近代的な人間関係を残しているとみることもできますが、しかし近年では少子化対策(衰退への対応)として、地元の教育機関などと連携して、コミュニケーションを拡張する動きがあるのですね。そのような動きは、近代的なコミュニティの理想モデルの一つになるでしょう。これを発掘する研究は意義深いと思います。