■日本のリバタリアンにしてナショナリスト、山本勝市

 



 

牧野邦昭『新版 戦時下の経済学者 経済学と総力戦』中央公論社

 

牧野邦昭さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

 山本勝市は、とてもユニークな思想家ですね。1925年から1927年にかけて、フランス、ドイツ、ロシアに滞在する経験から、山本勝市は重農学派の「自然の秩序」という考え方に大きな影響を受けます。とくにソ連を訪問したときに、計画経済という人工的な経済政策がもたらす惨状を知るわけですね。

 帰国して1928年に、「社会主義の現実性を疑う」という論文を書く。この論文のなかで山本は、「巨大な社会」という言葉を使っています。驚くべきことに、これはすでにハイエクに先駆けて、ハイエク的な発想を示していますね。

 この山本勝市の論文に対して、かつての師匠であった河上肇は、その著者が山本であることを知らずに批判しています。そこには河上的なマルクス主義的思考と、山本的なオーストリア学派の思考の対比がすでに示されていて、興味深いですね。マルクス主義的な思考は、資本主義を批判するけれども、批判の先に社会主義の経済体制のビジョンを描かない。現実を客観的に把握すれば、解決策はそこから見えてくるだろう、という楽観的な態度をとる。しかしこれでは、社会主義の可能性が論じられないことになってしまいます。

 やがて山本は、二回目の留学のチャンスを得ます。1931年から1932年にかけてです。そのときに山本は、ソ連で、ブルツクスやハルムに学んだのですね。社会主義の国では、どのように原価計算をしているのかと尋ねると、それは1913年の市場価格に基づいて計算しているのだという答えが返ってきた(95)

これは驚きますよね。帰国した山本は、1932年に、主著の『経済計算――計画経済の根本問題』を出版します。これは社会主義経済計算論争についての、初期の体系的な書物であります。いまなお高く評価されるべきでしょう。とにかく徹底しています。

 この本がすばらしい点は、後にハイエクが批判する論点を先取りしているところです。生産価格をいかにして特定するのかについて、山本は根本的な批判を展開しており、この論点は、ランゲの市場社会主義の発想も否定することになります。

 ただ、これだけ完全にミーゼスやハイエクの思考を自分のものにする一方で、山本勝市は、リベラルな自由主義者ではなく、ナショナリストなんですよね。山本によれば、日本人はたんに消費者として自分の欲望を最大限に満足させるというのではよくない。市場経済を利用するのはよい。けれども、その成果を利用して、日本人は聖戦を戦うべきなのであり、強力な国家を築くべきだ、というのですね。これはフーコーのいう「牧人権力による統治」を肯定しているようにも解釈できます。

 山本勝市は、しかし統制経済に反対するので、日本政府の観点からすると、扱いにくい存在だったのでしょう。戦後の山本は、鳩山一郎に誘われて、日本自由党の創立委員となり、政治家になります。そして日本における「オルドー自由主義」の導入に、大きな役割を果たすことになります。ここら辺の事情もまた興味深いですね。山本勝市の思想と実践を、どのように評価すべきか。残された膨大な資料から、読み解くことに意義があると思います。


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