■リベラルな社会運動とは
富永京子『なぜ社会は変わるのか はじめての社会運動論』講談社新書
富永京子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
社会運動論の現在を伝える、すばらしい入門書だと思います。
本書は、社会運動論のはじめての新書だというのですね。画期的です。
「社会運動」という概念は、現在では、いろいろな意味で用いることができます。例えば、「再生利用可能な素材で作られたボールペン」です。これが「普及する背景には、どういった政治的機会と制度の変革があったのでしょうか。」(234)
エコなボールペンの普及のために尽力した人たちは、社会を変える運動をしたのだというのですね。そして私たちは、エコなボールペンを使うとき、このボールペンが利用できるようになった背景に、いったい、どれだけの社会運動があったのかと想像力を逞しくする。そのような背景を「視る力」を養うことが、社会運動論を学ぶ意味だというのですね。これは説得的な説明です。
社会運動という言葉は、これまでさまざまな理論によって、さまざまに定義されてきました。自分に合った社会運動はどれなのか。それを知ることが必要です。本書は、この定義の問題を、最初にチャート式にまとめています。
例えば、「社会運動にはパッションが大事だ」という命題に、賛成か反対か。パッションはそれほど重要ではなく、しかし政治はたえず変化するのだから、それを睨んで何らかのアクションを起こす。そのような実践が、自分にとって利益になる人がいます。社会運動をすることには政治的・経済的な意味がある。そのように考える人がいます。
しかし、別の理由で社会運動をする人もいます。例えば、「集合的なアイデンティティ」や、「文化的な意味」、あるいは「自分とは異なる人たちと何かを共有する体験」を求めて運動する人がいます。
大切なのは、ミクロの視点をもつことですね。例えば、Xでツイートしたり、リツイートする。それだけで、その行為は社会運動とみなすことができる。このように社会運動を広く捉えると、私たちが日常生活でしていることの多くは、社会運動の一コマと言えるかもしれませんね。
第一章で紹介されているように、現在、社会運動でもっとも流通している定義は、
①明確に特定された敵と対立関係にある。
②緊密で非公式なネットワークに紐づけられている。
③集合的なアイデンティティを共有している。
以上の三つからなります。
しかしこれら三つの特徴をすべて否定しても、社会運動が成り立ちます。例えば、クラウドファンディングで寄付をしたとか、好きなアイドルのために「応援消費」をしたとか、気分転換のためにハイキングに行った、といった行為は、すべて社会運動の観点から意味づけることができます。
また社会運動は、その結果が政治的な社会変革に結びつかなくても、十分に意義があると考えられます。自分の個人的な苦境や周囲からの孤立を克服するために、何らかの社会運動に参加することは、それだけで十分に意味ある経験をもたらしてくれる。
本書で紹介されているように、ケビン・マクドナルドは、他者性、差異性、同時性(身体性)という三つの特徴でもって、「経験運動」という概念を把握したのですね(217)。この「経験運動」は、いっしょに社会運動をしてる人たちの「他者性」と「差異性」を認める点で、リベラルな特徴を備えています。あるいは、アナーキーの観点から、これを意味づけることができるかもしれません。
従来の社会運動論は、どれだけリソースを投入すれば、どれだけの政治的成果が得られるのか、という戦略的な側面を研究してきました。しかし成果にそれほど強調点を置かない運動もあります。政治的な成果(最終的には立法や革命)が得られなくても、人々をエンパワメントすることができれば、社会運動は成功と言える。そのように発想することが大切です。
本書で紹介されているように、ボーベルは「アクティビスト(活動家)・アイデンティティ」という概念を提起しました。社会運動をしているプロの活動家にインタビューすると、「自分はたくさん活動しているけれど、アクティビストではない」というのですね。またまだ活動が十分ではないという意識を持っていて、謙虚なのですね(229)。
社会運動に限ったことではないですが、人はあるテーマを極めようとすると、その道の達人たちを尊敬するようになります。そして自分は「まだまだ足りない」という謙虚な気持ちを抱くようになります。社会運動にも、このようなプロフェッショナルな意識があるというのは、多くのことを示唆しています。社会運動のプロというと、オルグするプロで、権力に対して正面から対決する、そのようなヴォイスをもった勇敢さをイメージします。あるいは運動家は、デマゴーグと呼ばれることもあります。しかしその役割と人間的本質を理解することは重要だと思いました。
本書のタイトルは「なぜ社会は変わるのか」ですが、社会が変わる背景には、人々のミクロな社会運動がある。そのようなミクロの物語を心のなかで想像して、そして共振して、自分もまたその考え方に賛同する。そのような視点をもつことが大切で、というのも社会運動に対する理解が深まれば、私たちの社会はもっと早く、よい方向に変革されるかもしれないからです。本書の刊行を、心より祝福いたします。