■脱成長と欲望の限界
太田和彦さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
この本のメッセージは、二つあると思います。
一つは、マルサスの解釈。マルサスは、人口が増えすぎると経済が停滞するという「成長の限界」を指摘した経済学者であるとみなされています。マルサスとしては、とにかく農業の生産性を上げて、できるだけ多くの人口を養うことが、一国にとっての幸せであると考えたのですね。その意味では成長主義者たった。これはマルサスの考え方というよりも、当時のキリスト教の支配的な立場であり、それは人間が地上に満ちて楽園を作ることを神が欲している、という考え方ですね。
現在であれば、人口をそれほど増やさなくても、一人当たりの経済成長を上げることが、国の目標になるかもしれません。しかし本書の立場は、こうした考え方を含めて、そもそも成長を目指す発想そのものに限界があると考えるのですね。
ただしそうはいっても、国家がある限界を設定して、強制的に環境主義の政策を進めることには反対で、人々は自主的に、自分で自分の生活に限界を設定することが望ましい、というのですね。これが本書の第二のメッセージです。
マルサスも、1970年代のローマクラブの「成長の限界」論も、あるいは新古典派の環境経済学も、基本的には、人間の欲望は無限であるとみなし、それは肯定できるものだという前提のもとに議論を立てています。しかしカリスは、このような考え方に反対です。カストリアディスのいう自律と他律の区別に従って、自律的な限界の設定を人々に呼び掛けています。
このような考え方が、どんな環境政策を導くことになるのかは、ブラックボックスです。いろいろあって、政策のビジョンを一つに絞り込むことは難しいでしょう。他律的ではない環境保護政策をすすめるためには、例えば各自治体にその政策をまかせるといった発想になるでしょうか。
あまり強制力がないようにみえるので、もしこのような考え方を「脱成長」と呼ぶならば、この思想は政策思想としては弱いです。けれども、例えば消費ミニマリズムのように、生活を変革する運動と結びつくなら、それは一つの文化運動として興味深い。ところが本書は、そのようなラディカルなミニマリズム運動をとくに称揚しているわけではないですね。脱成長の理念は、それ自体としては、実践的な知恵ではないということでしょうか。