■司法はマイノリティを救ってくれるのか?
リチャード・ベラミー『シティズンシップ 民主主義をいかに活用すべきか』千野貴裕/大庭大訳、岩波書店
千野貴裕さま、大庭大さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
A Very Short Introductionというシリーズの一冊で、コンパクトにまとまっていると思います。
訳者解説から読みましたが、ベラミーの立場は、「政治的立憲主義」というもので、これはいわゆる立憲民主主義には反対で、例えば司法審査のあり方を批判するのですね。
例えば、1954年の米国最高裁判決に、「ブラウン 対 トピーカ教育委員会裁判」があります。この裁判では、「分離された教育施設は根本的に不平等である」という画期的な判決が出ました。この判決は、それ以前の憲法解釈を覆すものだったのですね。
しかしこの判決が出た後、10年が経っても、南部の諸州では、人種隔離を撤廃した学校に通う黒人の子どもは、1.2%を超えなかったと(114頁)。
変化するのは、1960年代に公民権運動が盛り上がりをみせてからです。具体的には、1964年の公民権法と1965年の投票権法が成立してからです。
つまり、マイノリティの権利を、司法で守るという考え方には、限界があるということですね。やはり政治運動が重要で、議会政治を通じて新しい法律を作っていかないといけない。シティズンシップが実質的な意味を持つのは、このように新たな立法を提案する場面ですね。本書は、「諸権利を持つ権利」と表現していますが、簡単にいえば、新しい法律を作る活動が重要、ということです。この活動にこそ、市民権の実質的な意味がある。このように捉えました。