■GDPに代わる総合指標の理念を哲学する


 

福士正博『「社会的質」の可能性を探る』日本経済評論社


福士正博さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

 この本はとてもすばらしいです。

問題の立て方がストレートで、私たちの関心に直球でこたえようとしています。さらにその問題の探求が、日本でほとんど紹介されていない文献に基づくものであり、この問題を探求する際に、どんな文献が重要であるかについて、徹底的に猟歩されています。私たちが知らない、しかし重要で興味深い文献の検討が、最初から最後まで続きます。これは研究能力として驚異的であり、読んでいて驚かされることばかりです。

ここで紹介されている研究文献は、どれもすごく価値があるというわけではありませんが、しかし異端経済学や経済思想の観点からみればユニークで、独自の世界を築いた研究者の仕事ばかりです。こうした異端のすぐれた研究者たちの仕事を集めて整理してみると、とてもいいですね。ここで紹介されている研究者たちは、みなさん、新しいフロンティアを築こうとしている。そういう姿勢が、伝わってきます。大いに励まされました。

昨今の「幸福」研究や「持続可能性」の研究は、いずれも大きな問題であるがゆえに、あらゆる価値をそのなかに詰め込むような、総花的なものになっています。しかしどんな幸福が望ましいのか、どんな持続可能性が望ましいのか、ということを争わないと、政策の優先順位をつけたり変えたりすることはできません。幸福度や持続可能性をめぐる、もっと実質的な価値の議論が必要です。

「社会的質」というのは、その際の一つの価値観点と問題観点を与えています。福士先生のこの研究は、「社会性」の哲学を、市民社会論的な規範理論に拡張しつつ、そこから望ましい指標(政策指針)について検討するという、社会哲学としてとても重要な企てになっています。福士先生は、この研究のフロンティアを築かれました。ぜひ若い方々に、この問題の探求を継承していただきたいと思います。

社会的質とは、Beckその他の定義では、「豊かさや個人の潜在能力を増進するという条件の下で、市民がコミュニティにおける社会的、経済的生活に参加することができる程度」(74)というものです。

これを指標で表現する際、主観指標と客観指標の両方を使うことになるわけですが、その際の理念は、本書の100頁にまとめられているように、自己認識と集団的アイデンティティの相互依存、エンパワーメント、包摂、社会的・経済的安全保障、結束、これらのダイナミックな実現化、となるのですね。

150頁以下では、そのための指標が整理されていて、イメージが湧いてきます。これらの指標をどのように用いるのか、またどのように評価するのか。それは規範的な立場によって異なるのですね。正義をどのように定義するのか、それが争われます。

188頁のZUMAモデルには、持続可能性や不平等の指標も含まれています。そして198頁では、「社会的質」というものが、まず「生活の質」と「社会の質」の二つに区別され、そして後者は、さらに細かく分類されています。ここから203頁にかけての考察が、とても重要だと思いました。生活の質(個人)と社会の質(社会)をたんに並列して指標を作るのではなく、この二つのダイナミックな関係を考えるのですね。アーチャーの言葉では、社会的形態生成論が必要だと。

では具体的に、そのダイナミズムを示す指標とは、どのようなものでしょうか。これが本質的な問題だと思います。「私たちはどのような生を生きることができるのか」についての、可能態についての反省意識と、それを模索する実践が生まれていること、これらを追跡することが重要です。

 このダイナミズムをどうやって指標化するのか。本書では検討されていませんが、例えば、議員立法の数、政党のマニフェストに掲げられた積極的な政策提案の数、人々の平均的な旅行期間(年間)、博物館や図書館の利用者数、市民的議論のための施設、などの指標が重要ではないかと思いました。

 238頁でも、同様の問題関心から、人々の創発性について問題にされています。主観的な幸福度を質問する際に、やはり反省意識がなければならない。それは社会的な質に照らして問題化することが効果的でしょう。あるいは、地元や自国内での自分の社会的地位と幸福ではなくて、世界的な視点で見た場合の自分の幸福度を尋ねるといったことも、効果的かもしれません。

 269頁で、社会的なるものの「ブラックボックス化」が論じられていますが、社会的質をアンケート項目で確定する作業は、その作業をする人たちのあいだで、重なる合意点を見つけなければなりません。しかしその合意点は、内容の薄いものになってしまうかもしれません。指標づくりは、最終的には妥協だと思います。しかし妥協にいたるまでのプロセスで、社会的質に関する一つの実質的な理論や思想を打ち立てることは必要です。

 本書の最後に、SOLAモデルが紹介されており、これは社会的質というものが、他のさまざまな価値目標の一部であることを示しています。しかし、本書は最後に、このモデルを批判して、296頁で、個人と社会を統一的につかまえる視座が必要だと述べます。では、そのような視座は、望ましい指標のあり方について、具体的にどのような提案をするのでしょうか。この提案がなければ、社会的質をめぐる思想的・哲学的な議論は、軽視されるのではないかと思います。

 本書を読んで私が学んだのは、思想的・理論的な探求というのは、GDPに代わる総合的な指標づくりにおいて、たんに諸指標を整理するための枠組みを提供するのでは不十分で、ある実質的な価値理念の探求に基づいて(本書の場合であれば「社会的質」概念の実質的な把握に基づいて)、必要な指標を取捨選択し、あるいは重要度の優劣をつけ、また、新たに導入すべき指標を提案するものでなければならない、ということです。

社会的なものを通じて、個人の価値観が変容していく。そこに創発性があり、反省意識の向上があり、連帯の醸成があり、云々、という個人のライフヒストリーがある。そのような規範的価値を、いかに指標化するのか。これは難しいですが、問題として重要であり、探求するに値すると思いました。


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