■モノが安すぎるから環境が破壊される
作品社編集部、田中元貴さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
著者のラジ・バテルには、すでに邦訳『値段と価値』がある。
もう一人の著者、ジェイソン・W・ムーアにも、すでに邦訳『生命の網のなかの資本主義』がある。
いずれも、話題になった著作である。
今回訳されたのは、この二人の共著である。資本主義の歴史を、七つの安いモノという視点で見るという。とても興味深い内容である。
本書のいう「安いモノ」とは、自然、貨幣、労働、ケア、食料、エネルギー、および生命である。近代の資本主義経済は、これらを安い価格で売り買いして、環境を破壊してきた。しかも資本主義は、人びとを搾取してきた。
では、持続可能で、搾取のない社会を作るには、安いモノの価格を上げるべきなのかどうか。価格を上げるとして、その手段は? あるいはまた、外部不経済を考慮して価格を上げるとして、どうやって持続可能な経済を作っていくのか? さまざまな疑問がわいてくる。
「資本主義の歴史にはこういう問題がある」と指摘するとき、では「オルタナティヴは何か」という疑問が同時に浮かぶ。「あの時代に、もっとこうしておけば、人類はもっといい社会を作れたはずだ」という疑問がわく。しかし他方で、「本当に、そんなことはできたのか」という疑問も生じる。
資本主義の歴史を批判的に理解する際に、どんなオルタナティヴがありえたのかを明確にすることは、現在の私たちの社会を理解し、よりよい政策を考えるために重要であろう。私たちは「歴史」と「理想」を往復しながら、現代社会の問題を考えていく必要がある。
本書がすぐれているのは、歴史を読み解くための価値観点、すなわち私たちの「理想」社会への関心を、できるだけ明確にした点にある。その理想とは、搾取のない社会であり、持続可能な社会である。例えば、ケア労働を十分に評価した上で平等に分配する。あるいは、ケア労働を削減したり、ケア労働に対する補償を求めたりする。このような考え方である。
ただ実際には、ほとんど解決不可能な問題がある。農業の問題である。21世紀になって、農業と林業の分野は、温室効果ガス排出量の四分の一から三分の一を占めるようになった(173頁)。これを解決するためには、さしあたって労働者の賃金を上げて、食料の価格を上げなければならない。そして農作物の消費を、できるだけ少なくしなければならない。しかしそれだけで解決できるのかどうか。問題は深刻だ。
この他にも本書は、エネルギーの価格や労賃を上げるべきだと主張するが、しかしどこまで価格と賃金を上げるべきなのか。本書は、いわゆる新古典派経済学のように、外部経済(環境汚染)をすべて価格に内部化すればよいと発想するのではない。私たちに必要な発想は、自然というモノのなかに価値を見出すことだという。そしてまた、すべての労働者が自分にプライド(尊厳)をもって生活していくために、意義深い仕事については勤勉に働く機会を提供し、意義を見出せない仕事については労働時間を短縮することだという。およそこのような価値関心から、本書は人類の歴史を解釈し、また評価している。
では、本書が指摘する七つの「安いモノ」を「高いモノ」に転換したとして、それはどんな社会になるだろう。社会主義の体制だろうか。あるいは依然として資本主義の体制だろうか。その答えは、どうやって転換(内部化)するかについての私たちのビジョンに依存している。しかしどんなビジョンをもつにせよ、私たちは現在、歴史の転換点に立っていることは理解できる。安いモノを高いモノにしなければならないという価値意識は、本書を読んだ多くの読者に、共有してもらえるのではないだろうか。
新たなデータをもとに、歴史を再解釈する本書の試みは、私たちの歴史認識を、アップデートしてくれるだろう。