■社会学の「知」が、魂を救済する
上野千鶴子/森田さち『上野さん、主婦の私の当事者研究につきあってください』晶文社
森田さちさま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
これはすごい本ですね。熱量がすごい。生きづらさ、自己嫌悪、死にたい願望、交通事故による臨死体験、パパ活、夜の仕事、中絶、結婚、子育て、社会活動、・・・
すべてがひっくり返っていて、非日常的な日常の世界が広がっています。一気に拝読いたしました。
壮絶な人生であり、「いいこと」と「嫌なこと」の振り幅が大きくて、ジェットコースターのようです。規律と逸脱、成功と失敗、・・・そして生きづらさを、どうやって克服するのか。この問題に、上野千鶴子先生との対話によって、迫っています。
キリスト教の世界であれば、教会の告解室で、告白・懺悔する。そうすることで、神に許され、魂が救済される、というコミュニケーションがあると思います。人は、生きづらさを語り、それを受けて宣教師は、バイブルを参照しながら、アドバイスをします。
しかし現代社会で、これに代替する機能を果たしているのは、社会学の当事者研究なのかもしれません。当事者が、自分の人生を社会学的に分析してみる。するとその生きづらさは、親子関係や、社会の仕組みによって生み出されていることが分かる。そしてそのような社会学の「知」が、魂を救済する。
自分の家族関係や、自分の置かれた社会関係を、しっかり言語化すること。そしてもっと世界を知ること。社会学を通じて、自分の悩みが、多くの他者の悩みでもあることを知ること。さらに他者が、自分と同じような悩みをどのように乗り越えたのかを知ること。
自分の問題を解決するためには、自分自身を変えるよりも、この社会を変えることによって可能になる。社会学を通じて、このように「内から外へ」と問題を広げることで、前向きに生きていくことができるのですね。内から力が湧いてくるようです。
社会学の当事者分析は、魂の救済を可能にする。上野千鶴子さんの対話力は、とにかくすばらしい。要所要所で、的確な言葉を返し、投げかけています。これが社会学の力であるのだなと、改めて認識しました。
突き放して言えば、悩みというのは多くの場合、何も考えずに、あるいはあえて直視せずに、気晴らしをすることで、少しずつ忘れていくものです。忘れることで、対処できる、という面があると思います。しかしそれでは、前に進めない。自分を偽っているようにもみえる。もちろん、それでもいいのですが、しかし森田さんの場合は、自分が嫌いだという感情が、大きなパワーになって、自分が嫌なことをもっとしたいという、裏返った欲望になって自分を突き動かしている。そういうパワーがある場合には、自己を分析する思考のパワーも、すごいですね。
自己分析、当事者分析というのは、やはりパワーが必要です。だから誰かといっしょに、対話形式で進めることが、このように魂の救済に導いてくれるのではないか、と思いました。対話は、魂を介助する力がある。本書はその模範を示しています。