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■新自由主義を定義する方法

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  岡本哲史/小池洋一編『経済学のパラレルワールド』新評論   佐々木憲介先生、ご恵存賜り、ありがとうございました。   ご高論のタイトルは、「経済学方法論と新自由主義」という、とても関心をそそるものです。 新自由主義という概念を、どのように定義するのか。これはこの思想を批判する人たちにとって重要な問題です。 新自由主義の思想は、ハイエクとフリードマンの思想です。しかしハイエクとフリードマンは、思想的にかなり異なる、という問題があります。 あるいは、新自由主義の概念を、イギリスのサッチャー政権や、アメリカのレーガン政権の政策的立場、と捉える見方もあります。しかし、これらの政権が行った政策に違いがあります。また、それぞれの政権は、新自由主義的ではない政策もたくさん行っているでしょう。 新自由主義を定義する第三の方法は、あるモデルを作ることです。「民営化」政策全般を「新自由主義」と呼ぶ、といった方法です。しかしいま、図書館や体育館の民営化(業務委託)や、郵便局の民営化に反対する人は、あまりいないようです。新自由主義を批判する人でも、図書館や体育館の業務委託に反対している人は少ない。 新自由主義に反対する人は、グローバル化の恩恵にあずかれなかった大衆で、そしてその大衆はいま、ポピュリズム政治の担い手になっている。かれらはエリート批判、エスタブリッシュメント批判をしている、といわれます。 この議論で見落とされているのは、グローバル化とは関係ない次元で、新自由主義は国内の改革を進めた、という事柄です。図書館の外部教務委託は、グローバル化が進展しなくても、それ自体として政策の争点となったでしょう。 新自由主義にはさまざまな面があり、定義もさまざまなので、論点を絞り込んで検討しないと、この言葉は誤用されてしまう危険があります。 最近では、新型コロナウイルスの感染拡大の原因の一つとして、新自由主義的なグローバル化がある、と批判されることがあります。しかし日本では安倍政権になって、この数年間は新自由主義とは別の経済政策が採られました。すでに経済政策の点では新自由主義は過去のものなのに、いまだに現在の経済体制を新自由主義体制として理解している人がいる。「新自由主義ではダメだ」という批判は、依然としてなにか直感に訴える響きがあるので

■10年後に新しい「コンドラチェフの波」がやってくる

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  小林大洲介『スマートフォンは誰を豊かにしたのか』現代書館   小林大洲介さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    本書は、現代書館のシリーズ「いま読む ! 名著」の一冊で、シュンペーターの古典的な名著『経済発展の理論』を読む際に、これを現代のスマートフォンの発展に即して読み解くという、きわめて現代的な意義のある企てになっています。 まず、このモチーフがいいですね。古典と現代を往復するというこのスタイルは、経済学史研究が企てるべき、直球の挑戦であります。シュンペーターの先見性が、現代によみがえります。  コンドラチェフの波に即していうと、第一次の波は、産業革命、第二の波は、鉄道の記述革新、第三の波は、電気・化学・自動車などの技術革新、第四の波は、 1930 年代のフォード式大量生産、第五次の波は、 1980 年代以降のコンピューターなどの技術革新となります。私たちが生きる現在は、この第五の波のなかにあるのですね。 1980 年代以降の 40 年間は、消費者物価数の指標づくりに参照する商品として、コンピューター関係が増えています。パソコンが消費者物価指数の品目に加わるのは、 2000 年なのですね。 2003 年にはパソコン用プリンタ、 2005 年には DVD レコーダー、 2013 年にはスマートフォン、などなど。こうした商品が、誰もが所有しうる基本財(ニーズ)になった。  このコンドラチェフの波が約 50 年単位でやってくるとすれば、次の波は 2030 年以降になるでしょうか。そう考えると、いま私たちの経済は、あるコンドラチェフの波の最後の 10 年間であり、それは例えば、一つ前のコンドラチェフの波と比較すると、 1970 年代のような状況にあるのかもしれません。  

■正義論の教科書

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宇佐美誠/児玉聡/井上彰/松本雅和『正義論 ベーシックスからフロンティアまで』法律文化社 宇佐美誠さま、児玉聡さま、井上彰さま、松本雅和さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   統一的な教科書として、内容豊かです。 1999 年に、アメリカとヨーロッパ諸国の軍事同盟である NATO (北大西洋条約機構)の軍隊は、旧ユーゴスラビアのセルビアのコソボ自治体で起きていたアルバニア系住民に対する人権侵害を阻止するために、国連の承認を経ないまま、セルビアに対して空爆を行いました。 当時は、中国とロシアが反対したので、国連としては軍事介入を承認することができませんでした。しかし人権を侵害する事態に対して軍事介入することは、正統な戦争と言えるでしょうか。 国連が下す価値判断よりも、上位の価値の審級として、「人権」という普遍的な価値を掲げて、その価値に基づいて国際的な軍事介入を正当化することができます。これはしかし、おそらく二つの点で、困難に直面します。 一つには、たとえばNATO軍は、「人権を守る」という同じ理由で、中国やロシア、あるいは香港に対して、国連の承認を得ずに軍事介入することができるでしょうか。コソボは十分に小さな地域であったからこそ、介入を正当化できたに過ぎないのではないでしょうか。 もう一つには、これはまさに現実に起きていることですが、もしアメリカが普遍的な人権を重視しない立場に立つなら、ヨーロッパの軍隊は、独自の判断でコソボのような紛争地域に介入することができるでしょうか。そしてまた日本は、アメリカが普遍的な価値(人権)を重視しない立場に立つときに、普遍的な価値のためにヨーロッパの諸国と協力して、軍事的介入を支持すべきでしょうか。  普遍的な正義は、それが実効的な場合に遂行することができる。しかしそれが難しい場合には、理念的な要求として現れる。問題はその中間あたりの事態に直面した時に、正義の理念が真に争われることになるのでしょう。

■新自由主義はリベラルな市民社会を促進した?

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  後房雄/坂本治也編『現代日本の市民社会 サードセクター調査による実証分析』法律文化社   後房雄さま、坂本治也さま、執筆者の皆様、ご恵存賜り、ありがとうございます。    市民団体(サードセクター)といっても、いろいろな種類がある。自発的に作られた団体、行政のすすめや支援によって作られた団体、企業が資金や人材を提供するかたちで作られた団体、先行して存在していた他団体が主導する形で設立された団体、など。本書で示される調査結果から、サードセクターには、「行政のすすめや支援で作られた団体」が多いことが分かります。 42 頁。  では諸々の市民団体は、政府や都道府県に対して、どのようなアドボカシー運動を行っているのか。それは成功したことがあるのか。こうした質問に対する回答の結果も、興味深いです。 アドボカシーをするレベルとして、「大臣」「中央省庁の課長クラス」「都道府県の幹部」「市町村の幹部」「市町村の課長クラス」という具合に、権力のレベルを分けて質問しています。またそのアドボカシーが、実際に政策や方針をどのように変更させることができたのか。  調査結果によると、「市町村レベルの政策を変えることができた団体」は、全体の 10% 強に留まる、というのですね。  またアドボカシーという場合、実際の接触や会見を行うのか、審議会へ参加するのか、署名運動をするのか、集会へ参加するのか、ウェブサイトでアピールするのか。こうしたパタンの違いによって、「啓蒙型」「動員型」「自治体接触型」「国政接触型」に分けて分析している点も興味深いです。(以上は第四章。)  加えて第九章では、サードセクター組織のイデオロギー傾向の分布が、四象限の図に示されています。なるほど、と思いました。 これをみると、「非保守的」で「非ナショナリズム的」な、いわゆるリベラル・イデオロギーを代表するサードセクターは、「認定特定非営利活動法人」「消費生活協同組合」「特定非営利活動法人」の三つの種類なのですね。こうしたサードセクターを、新自由主義的な規制緩和政策によって促進するということが近年の傾向でしたが、この点を取り出してみると、新自由主義とリベラルな市民社会の興隆は、じつは両立する現象であったことに気づきます。  第 13 章を読むと、既存の保守的なサードセクター