■内田義彦が描く理想的な近代主体
山田鋭夫『内田義彦の学問』藤原書店
山田鋭夫さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
内田義彦の仕事(研究)を、時系列で分かりやすくたどっています。要所要所でその内容が整理されているので、とても明快に頭に入ってきました。
内田は、若いときは、河上肇や大塚久雄や大河内一男や山田盛太郎や星野芳郎などの学者たちに対して、自分なりに批判し、自分なりの新しい立脚点を作ろうとします。しかし内田の批判は、結果として、一貫していないものになってしまったのですね。内田はおそらく、壁にぶちあたったのでしょう。それで、その後は、研究を迂回して、つまり日本の研究の文脈を離れて、スミス研究に没入していくのですね。
「・・・内田は、一方で社会主義的なもの(ないし階級的観点)からブルジョア的なものを批判したかと思えば(山田・大塚・星野批判)、他方でブルジョワ的なもの(純粋資本主義的なもの)から半封建的なもの(日本資本主義)を批判し、あるいはそうした批判を行っている大河内を評価する(大河内評価)。市民主義はあるときは批判され、あるときは評価される。」(107)
戦時中から戦後にかけての内田は、市民的なものと階級的なものをめぐって、揺れていた。では内田は最終的に、この二つの観点をどのように止揚したのかというと、「市民社会とは〈主体的個人によって下から形成される分業の体系〉ということになり、そういうものとしての市民社会が――資本主義・社会主義を問わず――歴史貫通的に発展していくし、発展しなければならない」(114)という理解にいたるわけですね。
この問題については、私も拙著『社会科学の人間学』で論じたことがありますが、戦後日本の社会科学は、マルクスとウェーバーというテーマを中心として、経済体制が資本主義であれ社会主義であれ、どちらの体制でも「主体=市民」的に生きることを、学問研究の道徳的な理念に掲げた。内田の場合も、そのような文脈のなかで、同じような一つのケースを示していると思います。つまり、どちらの体制になっても、思考の点では主体的に生きる、自律して生きる、という市民の理想ですね。
内田は「下からの市民社会」という理想について検討しました。資本主義と社会主義の制度的な問題から離れて、労働者階級、あるいは農民階級の人たちが、社会科学を学び、学術的な用語を使いこなすという実践のうちに、近代主体の理想的な形成を展望したのですね。
おそらくこうした発想の延長に、ハーバーマスのような市民派の理論が生まれてくるのでしょう。しかし、社会科学が陶冶しうる市民的な人格、あるいは人間像は、いわゆる「近代主体」でよいのかどうか。拙著『社会科学の人間学』は内田義彦について検討しませんでしたが、いま考えると、内田もまた「近代主体」をソフトな仕方で正統化していたように思います。しかし近代主体は、もはや社会科学が陶冶すべき人格の理想ではありません。拙著では、この近代主体の理想を、「問題主体」の観点から乗り越えるべきだ、と論じています。内田が築いた思想の立脚点は、その当時の流行(すなわち近代主体の理想)に乗っただけのもので、あまり価値がないようにみえます。ここらへんは、大いに議論したいところです。