■リバタリアン・パターナリズムの原型

 

 


 

アマルティア・セン/バーナード・ウィリアムズ編『功利主義をのりこえて』後藤玲子監訳、ミネルヴァ書房

 

後藤玲子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

 この本の原書は1982年に刊行されてますが、その当時、若きアマルティア・センは、さまざまな哲学者たちとの交流のなかで、自らの思考を紡ぎだしていたことを示しています。この本に所収されている論文で、とくにすぐれた論文が入っているようにはみえませんが、しかしその後、執筆者たちのなかから、ビッグ・ネームになる人たちがたくさん生まれていますね。ロールズ、エルスター、テイラー、ガットマン、などなど。こうしたすぐれた学者たちを、「功利主義を超えて」という一つのテーマでまとめているわけですから、編集能力として、すぐれた才能を発揮していると思います。

ただ全体としては、どのように方向に功利主義を乗り超えるのか。ぼんやりしたイメージになります。全体をまとめた序章を読んでも、とくに功利主義を超えることの意義が見えるわけではありませんが、しかし各章の議論を読めば、さまざまな知の可能性があることが見えてきます。本書は、1980年代の経済思想・経済哲学を知るうえで、一つのプラットホームになるような達成ですね。

私は以前に本書を、原書でざっと読んだことがありました。今回、改めて興味深いと思ったのは、第12章のアイザック・レヴィの「自由と厚生」です。これはリバタリアン・パターナリズムの思想を準備するような考察を示しています。

厚生主義は、社会順序の理念に基づいて、望ましい社会選択をすることができる(社会的厚生水準を最大化できる)と考えます。しかし、この社会順序に対して、何らかの価値的な制約を課そうとする思想が、リベラリズムやリバタリアニズムなどの教説です。例えば、リベラリズムは、他者にある行為を強制するという選択肢(強制行為)を、社会順序を決めるさいの選択肢からあらかじめ外すべきだ、と考えるでしょう。行為は、他者に危害をもたらさないかぎり、認めうる。リベラリズムはこの「危害原理」を、社会的厚生主義に対するアプリオリな制約条件とみなすでしょう。

しかし、レヴィの論文は、他者にある行為を強制するのではなく、ある行為を促すような制度的な支援策を、選択肢として検討しています。レヴィは、このような「ある行為を促す」立場を、社会厚生主義的なリバタリアンと呼んでいますが、これはリバタリアン・パターナリズムの原型(プロトタイプ)といえるでしょう。


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