■全員にとって利益になる制度とは
盛山和夫さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
この数十年でゲーム理論は、数理社会学や経済学や人類学の分野などで、さまざまに展開しました。
本書はその流れを一通り解説しています。コンパクトでとても分かりやすいです。全体を通して、人間というのは、なかなか協力できない存在であり、それはなぜかと言えば、他者を信頼することが難しいためだということが分かります。
ゲーム理論は、この信頼と協力の問題にさまざまな定式化を与えています。理論そのものは「説明の理論」でありますが、それがもつ規範的な含意とはすなわち、「私たちはゲームのフレームワークを変えることで、すぐれた協力関係・信頼関係を築くことができる」、ということですね。
ではどのように制度を変えることが望ましいのかについては、さまざまな議論が成り立つわけですけれども。
ハーディンが「共有地の悲劇」を定式化したのは、ベトナム戦争が泥沼化した1968年でした。その少し前に、1965年にオルソンが独自の数理モデルを構築して、「オルソン問題」と呼ばれる集合的行為の問題を定式化したのですね。
この他、コールマンのいう「規範の需要」というアイディアが面白いと思いました(168)。また合理性と均衡の概念が、通常のゲームと進化ゲームでまったく次元が異なることも、理解しました。
いろいろ論じられていますが、最終的に、ゲーム理論は制度をゲームとして説明するだけでなく、ゲームとしての制度を変更して、もっといいゲームにするための知見を提供する。その場合、ゲームとしての制度を形成・再形成するためには、「合意」が条件となるというのですね。「全員にとって利益となる制度は何か」についての知識や判断、つまり観念レベルでの合意が必要であると。協力したほうが全員にとって利益になると理解することが必要で、この点で意見の一致を目指すことが、重要なのですね。
しかし実際には、「いかなる取り決めが共同利益か」という問題をめぐって対立が生じるので、私たちは完全な合意に至らなくても、ある制度を選ぶことができるし、また選ぶべきでしょう。
こうした話になると、結局、合意できない制度に私たちが従っているのはなぜか、という問題になりますね。合意できないけれども従うという、ある制度を正当化する際の理由となるものは何でしょうか。
ゲーム理論は、このような問題をふさぐために、あるゲーム状況では、お互いに合意できる解があるという、そういう状況を描いて現実を説明することが目標になるのではないか、と思いました。