■リベラルな平等主義を擁護する

 




 

ポール・ケリー『リベラリズム リベラルな平等主義を擁護して』佐藤正志/山岡龍一/隠岐理貴/石川涼子/田中将人/森達也訳、新評論

 

田中将人さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

 本書は、リベラリズムに対する批判を一通り紹介しています。そしてリベラルな平等主義の観点から、それぞれの批判に応答しています。しかしその応答は、それぞれ短いですから、説得力があるところまで展開されていません。全体的な印象としては、いろいろな批判があって、リベラリズムはなかなか大変だ、という感じです。

 とはいっても、いろいろな批判があるというのは、それぞれの批判者たちの思想的立場も、それほど強いものではない、ということでしょう。批判者たちの批判はどれも、体系的な思想性を備えていないですね。おそらく自分の立場を擁護する段になると、弱いだろうと推測されます。

 85頁以下で、バリーによるロールズの原初状態に対する批判が紹介されています。また、スキャンロンの説も紹介されています。もしこのバリーの考え方が正当であるとすれば、リベラルな平等主義は、基礎が危うくなると思いました。著者のケリーは、社会契約論というものが、リベラルな平等主義の基礎を提供すると考えていますが、しかしバリーのような仕方で社会契約論を擁護すれば、平等主義が受け入れることのできない社会契約でも、正義にかなっていることになるでしょう。

 リベラルな平等主義は、リベラリズムの一つのタイプです。しかし、リベラリズムを代表するタイプというわけではありません。私の考えでは、リベラルな平等主義の思想的問題点は、積極的自由の概念を、「道徳律にしたがって行動する」、つまり自己統治するという意味で理解していることです(104)

自分の情念や欲望を制御できる、という意味での積極的自由を掲げるだけでは、私たちの社会がどのような原理で繁栄するのかについて、うまく語れないでしょう。積極的自由の概念を、自己統治の意味で捉える発想そのものに問題があるのではないか。そのようなことを考えました。


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