■人間が非利己的になる経済ビジョンとは
アルフレッド・マーシャル『経済学原理 第四巻』西沢保/藤井賢治訳、岩波書店
西沢保さま、藤井賢治さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
マーシャルは、当時の人々が「だんだん非利己的になってきた」ことに注目するのですね。そして将来的には、人間が人格として進歩する可能性があるのだと。そのような希望と展望をもって、経済政策を舵とる。そのような視角が見えてきました。
226頁では、人々が現在の安楽や享楽をがまんして、将来、自分の家族が「より高尚な」生活をするために貯蓄していることが指摘されます。一方で、長時間労働はすでにピークに達し、今後は労働時間を減らしたいと思う人が増えるだろう、とマーシャルはみています。
当時は、粗野な生活を満たすことを「安楽」と呼びました。そしてそれ以外の高尚な欲求を含めると、一定の「生活水準」になると考えられました。
その当時、大英帝国で、奴隷を雇う際に、音楽その他の娯楽を経費として計上した方が、労働生産性が高くなる、ということが知られていました。たんに「安楽」の水準を上昇させれば、労働生産性が上がるというわけではないのですね。(239頁)
そして、「労働の強度」が高い場合、長時間労働を続けると疲れてしまうので、短くしないと生産性が上がらない、ということも指摘されます(242頁)。
しかしマーシャルの考えでは、たとえ労働時間を短縮して労働の生産性を上げたとしても、余暇を上手に使う人が少ない。だから人類が進歩するためには、「若者」に注目して、余暇を上手に利用するように、うまく教育すべきだというのですね。
「現世代にとって最も差し迫った義務は、若者に対して彼らのより高次の性質を伸ばし、有能な生産者になるような機会を与えることである。そして、そのために不可欠な条件は、機械的な労苦から長期間にわたって解放され、これとともに、学校に通い、性格を強化し発展させるような遊びをするための十分な余暇が与えられることである。」(276-277頁)
この発想は、社会的投資国家の原型と言えるでしょう。