■新自由主義は妖怪である
稲葉振一郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
戦後の経済思想は、社会主義か資本主義か、という体制論を中心に据えて議論されてきましたが、結局、社会主義の体制が崩壊すると、マルクス主義は批判理論に特化することで延命を図り、また古いケインズ主義や産業社会論も失効します。ここら辺の議論を本書は明快に整理されていると思います。
新自由主義というのは、冷戦崩壊後の経済思想としては、もっとも支配的になった考え方であると一般にはみなされていますが、しかしそれは、統一的なイデオロギーといえるものではなく、巨大な知的空白が生まれたというのですね。新自由主義を批判する人たちはたくさんいますが、批判の先に、新たな思想ビジョンを描く人が現れない。これはつまり、現代の経済思想は空白であると。
資本主義の社会は、ある意味で、思想がなくても機能します。世界像が共有されていなくても、世界はまわる。にもかかわらず、現在の経済思想を代表するのは、新自由主義であるとみなされている。そこには批判理論としてのマルクス主義による、「わかりやすい敵」を求める願望思考が投影されている、というわけですね。私もそう思います。
ではこの思想的空白をどのように埋めるのか。本書ではそれは展開されておらず、これまでの稲葉様の著作におけるいくつかのアイディアが最後にまとめて紹介されています。共和主義的モメントの再評価、労使関係やコーポレート・ガバナンス、業界団体の重要性、などです。
これまでのように、社会主義と資本主義の経済システム対立ではなく、例えば保守とリベラルの政治的対立を中心に経済思想を考えるとき、ではリベラルの経済政策や経済的思考とは、保守とどのように異なるのか。これが現在、不透明であり、経済政策に関する対立軸が生まれにくい状況が続いています。新自由主義を批判すれば、野党が一致団結して自民党に対抗できる、そして新たな政権を打ち立てることができる、ということはないでしょう。巨大な知的空白を埋めるための、手探りの状況が生まれているのだと思いました。