■宇野派理論をバージョンアップする


 

海大汎(ヘデボン)『貨幣の原理・信用の原理』社会評論社

 

ヘデボンさま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

宇野派の貨幣論を原理的に再構築するという、理論的に野心的で、かなりすぐれた成果であると思います。この分野で、根源的な議論を体系的に提示することに成功していると思います。

 もともとヘデボンさんは、韓国で宇野派の理論や柄谷行人などの日本のマルクス研究に触れる機会があり、それで日本に留学して、このようなすぐれた成果をあげたのですね。研究の果実を、心より祝福したいと思います。

 従来のマルクス理論では、貨幣論(価値形態論)においては現金取引が想定されていて、信用売買は想定されていませんでした。貨幣論と信用論は、現金と信用という、二段構えで論じられてきました。しかし現金を借りて商品を買うという信用創造は、その量的な側面ではなく、その質的な側面について検討してみると、これは貨幣を想定しなくても、つまり貨幣が登場しなくても、信用をもって他者とのあいだに価値関係を形成するという、商品経済のメタ原理がすでに存在するから可能になっている、というわけですね。

 この理論的な洞察から得られる知見は、現物の貨幣と信用貨幣は、理論的に同時に出現するということです。これは価値形態論で、等価形態に置かれるさまざまな商品が、部分的に信用の要素を含むものであってもいい、つまり、後で支払うという場合でも、等価形態が成り立つということですね。これは商品と商品の間の関係であり、貨幣はまだ登場していませんが、それでもそこに、信用の萌芽形態を理論的に認めることができるのだと。

 これは信用関係というものを、債務債権の関係とは区別して捉えるということですね。こうした理論上の視角がもつインプリケーションは、市場経済は、信用によって高度に安定した自己再生産を可能にしている、ということです。

信用貨幣が国家によって発行される不換紙幣であるとみなすなら、市場は信用を通じて不安定化する、という議論になりますが、しかし信用関係がそもそも信用貨幣以前の価値関係から生じているのだとすれば、自生的な信用売買は、市場の構造的な安定性を高めている、とみることができるわけです(259)

ここから先は、例えばミーゼスの信用論に接続されるでしょう。どんな貨幣であれば、市場は安定的に再生産されるのか、という問題が探究されるでしょう。

 


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