■日本の福祉政策の基礎を築いた思想とは
西沢保さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
大正後半から昭和の初頭にかけての時代は、しばしば「一橋(大学)の黄金時代」と言われるのですね。その中心にいたのが、リベラリストである福田徳三や上田貞次郎でした。
上田定次郎は、『新自由主義』という分厚い本を書いています。福田も上田も、当時のマルクス主義に反対して、新自由主義の立場に立ち、経済政策を論じました。もっとも当時の「新自由主義」の意味は、今日の意味とはやや異なります。何が異なるのかについては、検討に値するでしょう。
福田徳三は、1930(昭和5)年に、55歳の生涯を閉じました。それまでに、単行本37冊、全集l部を著し、定期刊行物や論集や辞書等に掲載された論稿は、約300篇でした。これは偉業です。
では福田は、私たちに何を残したのでしょうか。
学説史的にみると、福田は、ラスキン、ホブソン、アントン・メンガーの三人に影響を受けている。では福田は、この三人とは異なるオリジナルな経済思想を構築したのかどうか。
本書を読むかぎりでは、福田は、ラスキンやホブソンに影響を受けたけれども、そこから新しい思想を展開したわけではないようではないですね。
他方で福田は、アントン・メンガーの影響を受けていますが、アントン・メンガーを越えて、労働契約を「労働協約」に格上げすることを主張する。私法レベルでの労働契約ではなく、社会政策レベルでの労働協約にすべきであるというのですね。具体的に、治安警察法第17条の廃止、労働団結権、同盟罷工権、労働組合法案、ILO・国際労働保護法制の実施(失業問題を含む)などを提唱します。
こうした社会政策について福田が論じるとき、福田は、メンガーの次の世代のドイツの法学者、ジンツハイマー(Hugo Sinzheimer)の『労働協約論』(1907-1908)を参照しているのですね。福田の言っていることは、やはりドイツの最先端の学問を下敷きにしているようですね。ここら辺は、さらに検討に値すると思いました。
福田は、学者としては「超」がつく秀才であるけれども、思想家としては、二流にみえます。しかし驚くべきは、福田は先見の明があって、日本で自由主義的な福祉政策を考えるための、確実な学問的研究を築いたことです。当時の新自由主義の学問的貢献は、現時点からみて、重要な歴史的意義をもつでしょう。