■嶋津格先生の二著、刊行されました
嶋津格『経済的人間と規範意識――法学と経済学のすきまは埋められるか』『法・国家・知の問題』信山社
嶋津格さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
ご高著二冊の同時刊行、おめでとうございます。
いずれも論文集であり、嶋津先生のこれまでの研究人生を、鳥瞰できるようになっています。一冊目は、『経済的人間と規範意識――法学と経済学のすきまは埋められるか』。二冊目は、『法・国家・知の問題』です。
一冊目の「序にかえて――ハイエクに至るまでの思想遍歴など」では、嶋津先生が19歳のときからの研究人生が回顧されています。とても興味深く拝読しました。
「現在75歳、自分の学者人生全体の意味を意識する歳になった。」という一文から始まります。最初にケルゼンの影響を受けて、学部生のときには一学期のみ、米国の大学に留学されたのですね。それから、当時まだ社会主義の国だった東ヨーロッパなどを旅して、社会主義の思想に影響を受けたのですね。
その後、嶋津先生がマルクス主義を放棄するきっかけとなったのは、アイザック・ドイチャーのトロツキー三部作を和訳で読んだことだったのですね。スターリン批判を通じて、マルクス主義者であった自分の考えが変化していったと。スターリンの問題は、スターリンだけの問題ではない、マルクス主義の本質的な問題である、ということを理解されたのですね。
そしてそこから、嶋津先生はハイエクの研究に従事されます。ケルゼン、マルクス、ハイエク、という思想遍歴をたどって、そして現在は、グローバリズムよりも、ナショナリズムに関心があるのだと。
「この間の自分の思想遍歴を振り返って感じるのは、私は自分の思想を壊してゆくことを好むらしい、という点である。」と記しています。
なるほど、これが嶋津先生の基調にある思想的スタイルなのですね。
ナショナリズムの問題は、国際的にみて、すべての国がリベラルな国になる必要はなく、それぞれの国は、自律した判断で国を運営してよい、そのような自律的判断を互いに尊重するような国際的枠組みを作ろう、ということですね。
その一方で、嶋津先生は、米国が表現の自由(批判的言論の自由)を実現している奇跡の国であると評価しています。米国は、表現の自由を捨ててはならない。ラテンアメリカの一つにはなってほしくない、と書いています(II-20)。そのためには、ラテンアメリカからの移民を制限したほうがいい、となるでしょうか。
他方で嶋津先生は、米国が自由民主主義の国から、しだいに遠ざかっていることを認めています。自由や民主主義といった価値は、一つの価値にすぎないことも認めています(II-23)。すると、米国が反自由で反民主的な国になっても、それは米国の自律にかかわる問題であるから、私たちは尊重しよう、ということになるでしょうか。
問題は、米国の政治を尊重するとして、米国の自由民主主義が変容した場合に、日米同盟(日米安保条約)をどのように修正していくべきかです。規範理論的に重要なのは、この問題になるのではないかと思いました。