■死体はだれのものか
奥田純一郎/深尾立編『バイオバンクの展開』上智大学出版
野崎亜紀子さま、ご恵存賜りありがとうございました。
死体は、尊厳をもって扱われなければならない。勝手に扱ってはいけない。
なぜかと言えば、その論拠は、「国民の宗教感情としての死体の尊重」という倫理によって、基礎づけられているからなのですね。
死体はモノであるとはいえ、人と同じように、人格をもったものとして扱われる権利を持っている。
すると死体は、「遺族のもの」とは言えませんね。「遺族がその処分権をもっている」ということもできないですね。
死体を売ったら、やはりそれはいけない。それは直感的にそのように感じますね。これは、生きている人に関して、身体の処分権がその人自身に属するという、身体論型の財産権リバタリアニズムによって正当化されるものではなく、共有された宗教的価値にもとづく感覚ですね。
けれども、ある種のリバタリアンであれば、死者にも魂があり、その魂は死体に対する財産権をもっているはずだ、と発想するかもしれません。他人の財産権を不当に取り扱ってはならない、と。
しかし死体というモノは、いったい誰のものなのか。どうもこの問いは、「倫理国家」という規範の正当性を導くための、一つの理路になっているような気がします。