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■消費者団体が公平な市場競争を促す

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丸山千賀子『欧米の消費者団体 消費者政策のステイクホルダー』開成出版   丸山千賀子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    最新の消費者団体の動向を、新しい調査と資料に基づいて整理されています。多くを学びました。  アメリカの消費者団体の「コンシューマー・レポート」は、最近 2022 年に、コネチカット州で、「個人情報保護法(コネチカット州データプライバシー法)」を、州議員と協力して成立させたのですね。興味深いです。消費者団体が法律の制定に貢献している。  またアメリカの連邦議会は、コンシューマー・レポートが賛同している「自動車の安全性改革」を盛り込んだ法律を成立させたのですね。飲酒運転を防ぐ技術の導入を、新車に義務づけた。これによって年間 9,000 人の命を救うことができるようになったのだと。  コンシューマー・レポートは、 150 以上のパートナーシップを結んでいる。パートナーシップとは何か。それは、商用、調査・報道、ライセンス、慈善団体、規制・調査の五種類に分けられる。例えば商用のパートナーシップで、コンシューマー・レポートは TrueCar 社と連携して、消費者に対して有用な情報を提供するようになった。消費者は、新車・中古車の価格、在庫状況、他の消費者が支払った価格などを知ることができるようになった。このようにしてコンシューマー・レポートは、フェアな価格競争を促しているのですね (18) 。  イギリスの DMU= デジタル市場ユニットという組織も、興味深いです。 DMU は、政府の「競争・市場庁」のなかに設立された組織で、グーグルやメタなどの巨大なプラットフォームに対して、サービス内容や個人データの利用方法、広告表示などに透明性を求めている。この組織の活動は、市場競争を適正なものへと促すことなのですね (52) 。  イギリスでは認定された消費者団体に対して、 2002 年以降、「スーパー・コンプレインツ」という、競争・市場庁に訴える権限を与えた、というのも興味深いです。  消費者団体は、政府や市場から独立した自発的結社であり、市民社会の組織ですが、それが政府や市場(企業)とどのように協力して、市場の公正かつ競争的な秩序を作っていくのか。この問題に、本書はさまざまな事例で迫っています。

■新自由主義と市民社会は両立するか デンマークの教育政策から

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  坂口緑『多文化化するデンマークの社会統合 生涯学習が果たす役割とその可能性』花伝社   坂口緑さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    二年前に提出された博士論文を、さらにブラッシュアップして、このようなすばらしい本にまとめられましたことを、心よりお喜び申し上げます。  コミュニタリアニズムの思想が、教育や移民対応の現場でどのような意味をもつのか。デンマークの事例を、インタビューを通して具体的に明らかにされたことは、大きな成果であります。本書は、市民派コミュニタリアニズムの言説を濃密に紡いでいると思います。  そもそもデンマークでは、 12 歳から 25 歳まで、学校を中退してそのまま労働市場に参入した人が、 1990 年に 25.4% に上昇したというのですね (99) 。政府はこれを問題視して対策を立てますが、しかしその後も、だいたい 20% 前後で推移している。およそ五人に一人は通常の教育制度から外れている。政府としては、 95% の人が中等教育を修了できるようにしたいのだけれども、それがうまくいかない。教育に失敗している。そこで「生涯学習」という理念が、教育政策の現実的な目標になってきたのですね。  教育問題を解決する際に、デンマークでは、ボランティアによるアソシエーション(自発的結社)に期待が寄せられました。デンマークでは、およそ三人に一人が何らかのアソシエーションに参加しています。国全体で、アソシエーションは約 10 万団体もある (170) 。その大半は、スポーツ団体ですけれども。アソシエーションは、「学校の次にデモクラシーを学ぶ場」であると認識されている、というのは興味深いです。  日本では、アソシエーションとしての各種 NPO 団体が、体育館や図書館の運営など、政府のサービスを請け負う場合があります。デンマークでもそのような仕組みがありますが、ではアソシエーションへの下請けは、労働の搾取にならないでしょうか。デンマークの人々にインタビューしてみると、どうもそのような意識はあまりないのですね。  政府がアソシエーションに業務を委託するのは、いわゆる「新自由主義」の政策とされます。福祉大国のデンマークでも、そのような制度が導入されています。ところがこれが大きな問題になっていない。デンマークの研究者たち

■移民の自由とフェイクニュースを考える

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瀧川裕英編『もっと問いかける法哲学』法律文化社 浦山聖子さま、成原慧さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   2020 年。世界全体で、出生国以外の国で生活している人は、 2 億 8100 万人というデータがあるのですね。これは世界人口の 3.6% です。この数を少ないとみるか、多いとみるか。国際的な資本移動と比較すると、国際労働市場はまだまだ発達していない、という見方ができるでしょう。 米国のギャラップ社が発行している「潜在的ネット移民指数」があります。移民になりたいかどうか、という指数ですね。ギャラップ社には追加で、移民する場合に、「潜在的に支払ってもいい金額」を出してほしいです。コストがいくらなら移民しないのか、それが分かるといいと思いました。 現在、世界人権宣言や国際人権規約は、人権として、「出国する権利」を認めている。ところが「入国する権利」は保証していない。入国は、人権ではなく、各国政府の裁量に任されているのですね。「移民の権利」というのは、実質的に、半分の権利だということになります。 移民を自由化するために、参考になる事例があります。オーストラリアとニュージーランドのあいだで交わされた「トランス・タスマン旅行協定」です。互いに自由に移動して働いて構わないという、二国間協定です。このような協定を増やしていく方向が考えられますね。現在の国際投資協定と同じようなやり方です。 フェイク・ニュースを取り締まるべきか、という問題も、興味深いですね。フェイク・ニュースが社会の統治を危険にさらす場合、あるいは将来そのような危険が生じる可能性がある場合、取り締まるべきだ、ということでしょう。 またこの問題は、国家が規制するのか、同業者団体の自主規制に任せるのか、第三者機関によるファクトチェックを機能させるのか、国民にメディア教育を義務化して、フェイク・ニュースに対する耐性を高めるように促すのか、等々、いろいろな対処の仕方があります。どの方法が最も効果的かという問題と、どの方法が最もリベラルか、という問題があります。リベラルな対応とはなにか。フェイク・ニュースに即して論じることは、意義深いです。法哲学で、ぜひ論じてほしいです。 キャス・サンスティーンであれば、フェイクニュースを流してもよいけれども、流す人は、自分と対立する

■関係主義的リベラリズムとは何か

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  野崎亜紀子『〈つながり〉のリベラリズム』勁草書房   野崎亜紀子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    長年にわたるご研究の成果ですね。刊行をお喜び申し上げます。  「関係」主義という観点からリベラリズムを考えるとき、個人の自己決定や自由意志が、どのような関係において尊重されるのか。あるいはまた、自分で自己決定することができない / 難しい人(胎児、子ども、障がい者など)が、できるだけ尊厳をもって生きるためには、どんな人間関係が必要で、それはいかにして確保されのるか。このようなことが問題になります。  私たちの人間関係を、リベラルな関係へと変革していく。ではリベラルな関係とは、どのようなものなのか。明解な指針を示すことは難しいようですね。  例えば、ある疾患に関する有益な情報を、ある患者会の内部で共有して、そのメンバー以外の患者には公開しなかったとしましょう。これは患者会という「特定の関係性」を重んじて、外部を重んじなかった、ということになります。このような関係性は、リベラリズムの観点から正当化されるのでしょうか (14) 。この問題は、リベラルの観点からみて、どのような関係性が望ましいか、という問題です。リベラルであれば、「患者会の外部の患者とよい関係を築け」ということになるでしょうか。   NIPT (新型出生前診断)について、関係主義的なリベラリズムは、どんな立場を採るでしょうか。 NIPT とは、「無侵襲的出生前遺伝学的検査、母体血細胞フリー胎児遺伝子検査、母体血胎児染色体検査、セルフリー DNA 検査などとも呼ばれる、妊婦から採血しその血液中の遺伝子を解析することにより、胎児の染色体や遺伝子を調べる非侵襲的検査」です( wiki より)。  妊娠したら、 NIPT を受検すべきかどうか。そしてその検査結果を受け入れて、しかるべき場合には、人工妊娠中絶をすべきかどうか。これは自己決定型のリベラリズムからすれば、「任意に受検し、任意に人工妊娠中絶せよ」という規範が正しいことになります。では関係主義的なリベラリズムは、どのように発想するでしょうか。明快な立場はないようですね。胎児の生命権を重んじるのか、胎児の利益的主体性を重んじるのか。  自己決定権を重んじる立場は、 NIPT を受けない権利を認めます。

■「聖書のみ」の立場は正しいのか

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アナス・ホルム『概説グルントヴィ 近代デンマークの礎を築いた「国父」、その生涯と思想』小池直人 / 坂口緑 / 佐藤裕紀 / 原田亜紀子訳、花伝社    坂口緑さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   19 世紀を生きたグルントヴィ (1783-1872) は、デンマークで「国父」と呼ばれるような重要な人物なのですね。しかも教育面で世界的な影響を与えたと。日本でも 1994 年に「日本グルントヴィ協会」が設立されました。本書はグルントヴィの概説書で、彼の人生と著作を紹介しています。  本書の紹介によれば、小国のデンマークは、 19 世紀に、対独戦でドイツに敗北し、独立国家としての危機を迎えます。そのような時期にグルントヴィは、国民の大多数を占める農民を、「デンマーク人」として覚醒させるための民衆教育を構想しました。  グルントヴィは、カリスマ的な魅力のある人で、同時代のヘルダー、ゲーテ、ヘーゲルなどと比較されたりします。興味深いのは、グルントヴィは、父がプロテスタント教会の牧師で、自身も一時期牧師になるのですが、ルター派のプロテスタンティズムを批判した点です。ルター派の「聖書のみ」という立場を批判するのですね。 グルントヴィは、長い探求の末に、エイレナイオス司教 ( 約 130-200) の作品の伝統に立ち返り、「新約聖書が書かれる以前に、キリスト教は信仰の営みがなされる教会のなかに生きた仕方で存在していたという結論に行きついた」というのですね (65) 。  イエス自身の言葉は、書き下されるはるか以前から繰り返されていたのだと。北欧神話もそうですが、口承伝達の伝統があり、書物以前に口承の言葉があった。イエスがその使徒たちに伝えたのは、そのような口承されてきた言葉だった。  ただ、グルントヴィは、この主張を記した小冊子『教会の応酬』で、神学教授のクラウセンを批判して、それで名誉棄損の罪で、以降は法的許可なしに何も出版できないことになってしまった。ただしその後、この罪は解除され、自由に出版できるようになります。そしてグルントヴィの考え方が認められて、デンマークの人々は、自身の教区を離れて、自由に礼拝できるようになる。そのような法律が 1855 年に制定されたのですね。

■リップマンは新自由主義の立役者

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山脇直司『分断された世界をつなぐ思想』北海道大学出版会 山脇直司さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。   アメリカ発の公共哲学は、リップマンとデューイにさかのぼることができるのですね。とくにリップマンは、新自由主義の初期の立役者でもあり、関心をもちました。リップマンに関する研究は、もっとあってもいいと思います。  リップマンは、岩波文庫で読める著書、『世論』(上・下)で知られています。この本は 1922 年に刊行されました。ではその後、リップマンはどんな本を書いたのでしょうか。 リップマンは、 1928 年に『幻の公衆』を書きますが、この本が邦訳されたのは 2007 年なのですね。遅いですね。 1934 年に刊行された The Good Society は、翻訳がありません。 1955 年に刊行された『公共の哲学』は、 2014 年に邦訳されています。こちらもずいぶん遅いですね。  つまりリップマンは、 21 世紀になるまで、日本でほとんど紹介されていなかったのですね。これは岩波文庫の一冊になった著者としては、異例なほど、研究されてこなかったということでしょう。なぜでしょう。  おそらく 20 世紀の日本では、リベラリズム(新自由主義を含む)と公共哲学に対する関心が、アカデミズムにおいて、ほとんど湧かなかったということなのでしょう。しかしリップマンは、知性史の観点から、重要な人物であると改めて思いました。

■クロポトキンの新訳、決定版

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  ピーター・クロポトキン『相互扶助論 進化の一要因』小田透訳、論創社   小田透さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。    長文の「訳者あとがき」を読みました。とても力強くて感銘を受けました。 「わたしたちは、自分自身を疑うだけでなく、わたしたちの創造的な潜勢力を信じてもよいはずである。なぜなら、相互扶助の感性も実践も、自然の贈与だからだ。」 (431)  相互扶助の実践は、創造的な潜勢力の発揮を必要とする、人間にとってすぐれた倫理なのですね。  このたびは、クロポトキンの『相互扶助論』 (1902) の新訳の刊行を、心よりお喜び申し上げます。  少し前に大杉栄の「初訳」の新版(新漢字・新仮名遣い版)が刊行されて、その時に私はこの本を読みましたが、この翻訳は補遺を訳していないなど、いろいろな不備があったのですね。その後、大沢正道が 1970 年に新たな訳を『クロポトキン I 』として出したのですが、これは絶版状態が続いていたと。  今回、クロポトキンの引用の誤りまで確認して翻訳された意義は、大きいと思います。  翻訳を通じて、小田さまが、クロポトキンに惹かれる理由が、エミール・ゾラの『パスカル博士』に登場するパスカルと似ているから、というのは興味をそそられました。この本、読んでみたいと思います。