■移民の自由とフェイクニュースを考える
浦山聖子さま、成原慧さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
2020年。世界全体で、出生国以外の国で生活している人は、2億8100万人というデータがあるのですね。これは世界人口の3.6%です。この数を少ないとみるか、多いとみるか。国際的な資本移動と比較すると、国際労働市場はまだまだ発達していない、という見方ができるでしょう。
米国のギャラップ社が発行している「潜在的ネット移民指数」があります。移民になりたいかどうか、という指数ですね。ギャラップ社には追加で、移民する場合に、「潜在的に支払ってもいい金額」を出してほしいです。コストがいくらなら移民しないのか、それが分かるといいと思いました。
現在、世界人権宣言や国際人権規約は、人権として、「出国する権利」を認めている。ところが「入国する権利」は保証していない。入国は、人権ではなく、各国政府の裁量に任されているのですね。「移民の権利」というのは、実質的に、半分の権利だということになります。
移民を自由化するために、参考になる事例があります。オーストラリアとニュージーランドのあいだで交わされた「トランス・タスマン旅行協定」です。互いに自由に移動して働いて構わないという、二国間協定です。このような協定を増やしていく方向が考えられますね。現在の国際投資協定と同じようなやり方です。
フェイク・ニュースを取り締まるべきか、という問題も、興味深いですね。フェイク・ニュースが社会の統治を危険にさらす場合、あるいは将来そのような危険が生じる可能性がある場合、取り締まるべきだ、ということでしょう。
またこの問題は、国家が規制するのか、同業者団体の自主規制に任せるのか、第三者機関によるファクトチェックを機能させるのか、国民にメディア教育を義務化して、フェイク・ニュースに対する耐性を高めるように促すのか、等々、いろいろな対処の仕方があります。どの方法が最も効果的かという問題と、どの方法が最もリベラルか、という問題があります。リベラルな対応とはなにか。フェイク・ニュースに即して論じることは、意義深いです。法哲学で、ぜひ論じてほしいです。
キャス・サンスティーンであれば、フェイクニュースを流してもよいけれども、流す人は、自分と対立する人の意見についても、容易にアクセスできるようにしなければならない、というナッジ的な法律を提案するでしょう。