■社会主義と自由主義をめぐるワルラスの立場


ワルラス『社会経済学研究』御崎加代子/山下博訳、日本経済評論社

 

御崎加代子さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

レオン・ワルラスの古典的な名著(同書の第二版、1936年刊行)の翻訳の刊行を、心よりお喜び申し上げます。

 ワルラスによれば、社会主義と自由主義の違いは、社会主義は「完全への可能性」を求めるけれども、自由主義は、「改善可能性(perfectibilité)」を求める点にある、というのですね。完全な徳や富を求めて教条主義になるのが社会主義であり、これに対してそのような教条主義を恐れて、専制を嫌悪するのが自由主義であると(6-8)

 しかしワルラスは、この二分法にためらいがあります。私たちはやはり、理念の上では完全を求める。完全を求めるのが科学的な態度だ、というのですね。ワルラスは、科学的には社会主義者の立場を表明し、政治的には自由主義者の立場をとるといいます(17)

 この二つの態度をバランスよく両立させるためには、科学的な研究によって得られる知見が、政治的・政策的に取り入れられる場面で、限定的なものになるように配慮する必要があるでしょう。ワルラスはこの点で現実的であったようにみえます。

もし科学的な態度で計画経済を正当化すれば、それは社会主義です。しかしワルラスが提案するのは、土地にどんな税金をかけるか、地租をどのようにして公平に徴収するか、という問題に関することに限定されています。

 ワルラスは、たんに自助努力を良しとする社会(組合主義もまた自助の理念から正当化されます)ではなく、連帯の社会を展望します。そして生存権を擁護する際にも、この権利には卓越の理念が含まれるとして、労働者が芸術に触れる機会を提供することが重要であると考えます(120-121)。この点は、たしかに評価できると思います。1930年代の社会民主主義は、生存権を卓越主義と結びつけるようになった。これは重要です。

 その一方で、私がワルラスに反対するのは、民主主義が真理であるかどうか、正義であるかどうかという問題を、幾何学や天文学の原理と同じように科学的に証明できる、という発想です(130)。これは科学主義的な態度といえるでしょう。「このように、科学に関する限り、われわれは臆せずに、社会主義者であってもよい、と私は言っているのである」(161)。しかし、民主主義が真理であることを、科学的に証明することは難しいと思います。

 その一方で、ワルラスはマルクス主義を批判して、知的所有権がコモンズになるためのふさわしい条件について考察しています。社会民主主義のテーマとして、知的所有権と、土地に対する課税方法を、ワルラスは論じました。

そしてワルラスはこれらの問題に、帰結主義、あるいは私が考える成長論的自由主義の観点から、興味深い提案をしています。それはすなわち、人的資本を有効活用するために、有閑階級の人々に対して高い税金を課す、という提案です(397-398)。学歴が高い人、上流階級の人は、すぐれた人的資本を形成しています。そのような人たちがもっと働けば、国は豊かになる。かれらはすでに豊かで、働く必要がないのかもしれないけれども、もっと働くインセンティヴを与えて、働かせて課税する。これは人的資本に対する課税案ですが、現実的には人頭税を避けて、例えば土地に課税する、ということで代替するのかもしれません。しかし発想として興味深いです。

 このようにみると、ワルラスは、科学主義にコミットしたというよりも、それ以上に、潜在的な富の可能性を引き出すことに関心を寄せていて、そのような観点から理想の税制を提案したようにみえます。


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