■「聖書のみ」の立場は正しいのか
アナス・ホルム『概説グルントヴィ 近代デンマークの礎を築いた「国父」、その生涯と思想』小池直人/坂口緑/佐藤裕紀/原田亜紀子訳、花伝社
坂口緑さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
19世紀を生きたグルントヴィ(1783-1872)は、デンマークで「国父」と呼ばれるような重要な人物なのですね。しかも教育面で世界的な影響を与えたと。日本でも1994年に「日本グルントヴィ協会」が設立されました。本書はグルントヴィの概説書で、彼の人生と著作を紹介しています。
本書の紹介によれば、小国のデンマークは、19世紀に、対独戦でドイツに敗北し、独立国家としての危機を迎えます。そのような時期にグルントヴィは、国民の大多数を占める農民を、「デンマーク人」として覚醒させるための民衆教育を構想しました。
グルントヴィは、カリスマ的な魅力のある人で、同時代のヘルダー、ゲーテ、ヘーゲルなどと比較されたりします。興味深いのは、グルントヴィは、父がプロテスタント教会の牧師で、自身も一時期牧師になるのですが、ルター派のプロテスタンティズムを批判した点です。ルター派の「聖書のみ」という立場を批判するのですね。
グルントヴィは、長い探求の末に、エイレナイオス司教(約130-200)の作品の伝統に立ち返り、「新約聖書が書かれる以前に、キリスト教は信仰の営みがなされる教会のなかに生きた仕方で存在していたという結論に行きついた」というのですね(65)。
イエス自身の言葉は、書き下されるはるか以前から繰り返されていたのだと。北欧神話もそうですが、口承伝達の伝統があり、書物以前に口承の言葉があった。イエスがその使徒たちに伝えたのは、そのような口承されてきた言葉だった。
ただ、グルントヴィは、この主張を記した小冊子『教会の応酬』で、神学教授のクラウセンを批判して、それで名誉棄損の罪で、以降は法的許可なしに何も出版できないことになってしまった。ただしその後、この罪は解除され、自由に出版できるようになります。そしてグルントヴィの考え方が認められて、デンマークの人々は、自身の教区を離れて、自由に礼拝できるようになる。そのような法律が1855年に制定されたのですね。