■鎌倉仏教革命が失敗した理由
橋爪大三郎『鎌倉仏教革命 法然・道元・日蓮』サンガ新社
橋爪大三郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
鎌倉時代、日本の精神文化は、法然、道元、日蓮の三人によって一新されます。
それまでは輸入文化だった仏教。しかしこの三人によって、日本でオリジナルな精神文化が発展しました。西欧における宗教改革よりも、300年も早いのですね。
この三人は、「貧乏主義」という点で共通しています。いずれも、既存の仏教が貴族たちに奉仕している状況を改めて、「民衆(庶民)の救済」のための精神文化を目指しました。そして平安時代の仏教の正統性を、掘り崩していきました。
しかし、この鎌倉時代の仏教革命は、西欧の宗教改革がもたらしたような、本格的な社会改革には結びつきませんでした。それはなぜなのでしょう。
理由は二つあるのですね。
(1)法然、道元、日蓮。この三人は、それぞれのグループに分かれて、連帯できなかった。ドイツで起きた宗教革命の場合、どのグループも、聖書という一つのテキストを共有していました。聖書の解釈が分かれるとしても、妥協したり連帯したりすることができました。しかし鎌倉仏教の場合、そのようなテキストが共有されていませんでした。
(2)宗教は、政治に従属していた。日本は中国のやり方をまねて、仏教は、世俗の政治権力に服従する道を選んでいました。(インドでは、仏教は世俗の権力から分離していたのだが。)これに対してキリスト教は、政府の上にあって、政府の政治権力の正統性を与えることができたのですね。日本では、禅宗も、法華宗も、世俗社会にあり方に対する対案を出すことはありませんでした。ただ、唯一、念仏宗だけが代替案を示しました。自治組織を作って、政府と対立します。しかし念仏宗も、特定の地域を治めるほどの勢力にはなりませんでした。
以上の二つの理由を反省的に捉えると、日本で宗教が社会改革に結びつくためには、派閥同士の連帯、テキストの共有、世俗権力に従属しない精神的正統性の構築、自治組織に基づく対抗、といった実践が重要になるのではないか、と思いました。
さて、その後、この鎌倉仏教革命に対抗して、既存の仏教の巻き返しが起こります。
鎌倉時代の初め頃に、『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』という経典が、日本人によって、漢文で書かれました。でっちあげの経典です。中国や日本で書かれた経典は、すべて「偽経」と呼ばれます。この十王経も、偽経です。
それによると、人間が死んだら、地獄の入り口に行く。するとそこでは、地蔵菩薩が待っている。私たち人間は、そこで裁判を受けて、どの地獄に行くのかが決まる。
このストーリーは、中国のある偽経を種本にしてつくられたのですね。仏教において、そもそも地獄はありません。しかし中国の道教の考え方を取り入れて、鎌倉時代の日本仏教は、地獄を創作するのですね。
例えば、「四十九日」という考えは、このときに生まれました。この『十王経』は、庶民を洗脳することに成功しました。当時の庶民たちは、死者を埋葬する際に、お寺に頼んで、葬儀してもらわなければならない、ということになりました。そのような慣行が生まれ、既存の仏教が形を変えて発展していきます。
鎌倉時代の新しい仏教、法然・道元・日蓮が切り拓いた仏教は、原理主義的・原則主義的な要素があります。しかしそのようなすぐれた教義が、なぜ社会革命に失敗したのか。それは仏教というものが、そもそも原理主義的なものではなく、自分の考えを自分なりに考えていくしかないからだ、というのですね。どんな教義も、この宗教の中では、一つの教義として相対化されてしまう。
それにしても、『十王経』のような偽経が、私たち日本人の慣行をいわばでっち上げて作ったということは、慣行(convention)の成り立ちを考えるうえで、重要です。このような慣行のでっち上げが成り立つこと自体、日本の仏教を日本的なものにしている。この事実について、私たちは自覚的でなければならない、と思いました。