■コロナ禍で政治家を信頼しない日本人のジレンマ
西田亮介『コロナ危機の社会学』朝日新聞出版社
西田亮介さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
昨年以来のコロナ禍で、問題となったのは、「政治を知らない科学者」と「科学を知らない政治家」の、いずれを信頼してよいのか。いずれが政治の権力をかじ取るべきなのか、ということだったと思います。
政治家は、さまざまな専門家の意見を聞いて、政治的に判断するけれども、感染症の専門家だけでなく、経済の専門家の意見も聞きます。そして総合的な観点から、緊急事態宣言の時期と政策を決定します。しかし国民は、政治家よりも、むしろ科学者を信頼しています。そのような状況では、政治家は、科学者の判断に依存しながら政治的な意志決定をして、その決定の責任を自分ではなく科学者に負わせる、というかたちになりますね。その方が自分の言うことが信頼されるからです。
私たちが「自粛要請」を求められる場合、政治家に求められる場合と、専門家に求められる場合とでは、どちらが「より嫌」でしょうか。人によってそれぞれ異なるでしょうし、また文脈によっても異なるでしょう。
いずれにせよ、国の政策を「専門家会議によってほぼ決めている」というイメージ作りは、政治的には無責任であるにせよ、社会的には日本人が望むやり方であったのではないか、と思いました。
逆に言えば、それだけ日本人は、政治家を信頼していないということであり、その実態は、シノドス国際社会動向研究所のウェブ調査でも、明らかになっています。
とくに、リベラルな人たちは、政治家を信頼していません。もし政治家が責任をとるかたちでコロナ対策をすすめると、おそらく政治家たちは、リベラルの支持を得られないことになるでしょう。こういうジレンマがあるのではないかと思いました。