■自由意志は錯覚にすぎない
山本貴光さま、吉川浩満さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
本書は、興味深い人文書を、たくさん紹介しています。最初にヒースの『啓蒙思想2.0』が紹介されるので、これは人文的というよりも、社会科学の哲学、あるいは社会哲学的、という感じですが、話題にしているのは、現代の心理学における(カーネマンの)「システム1」と「システム2」の区別ですね。これはまさに、現代人の教養となるべき概念であり、目のつけどころがすばらしいと思いました。
この他、ベンジャミン・リベット『マインド・タイムーー脳と意識の時間』が紹介されています。この本が主張していることをごく簡単にまとめると、
(1)意識は、錯覚にすぎない
(2)自由意志は、存在しない
ということです。
例えば、皮膚で痛みを感じる場合、皮膚に物理的刺激が与えられた時点から、その刺激が脳に届いて意識されるまでには、0.5秒のタイムラグがあります。ところが脳(つまり意識)は、この「痛い」という刺激を、あたかもリアルタイムで感じたかのように、時間を編集している(遅れがなかったかのように偽装している)、というのですね。意識は、痛みよりも遅れてきたにもかかわらず、「遅れていない、これはリアルタイムの感覚だ」と主張するわけですね。つまり意識は、時間を欺いているのだと。
あるいは、人が「手首を曲げよう」と意識して、実際に手を曲げる場合、その間のタイムラグは、0.15-0.20秒くらいあるのですね。興味深いのは、その行為が始まる0.5秒前に、「準備電位」と呼ばれる脳の活動が始まっているということです。これは、人が「手首を曲げよう」と意図したから実際に手を曲げられるというわけではなく、準備電位という脳の活動があるから、その活動によって「手首を曲げよう」という自由意志が生じるのであって、この自由意志は、じつは身体の従属変数にすぎないのであり、言い換えれば、自由意志でも何でもない、というわけですね(38)。
ところが話は簡単ではなく、かりに準備電位が生じたとしても、人間は「手首を曲げること」を拒否することはできる、というのですね。この拒否権において、自由意志を救うことができるかもしれません。
しかしどうでしょう。この拒否権の発動のためには、「別の準備電位」が生じているかもしれませんね。そうなるとやはり、自由意志は幻想である、ということになるでしょうか。