■室町時代の職業仏教論
芳澤元『足利将軍と中世仏教』相国寺研究(十)
芳澤元さま、ご恵存賜りありがとうございました。
とくに最後の回を、興味深く拝読しました。日本の中世社会には、寺社の外にも、在俗宗教が溢れるようになる。その担い手として、居士(こじ)、在俗出家者、世間者(せけんじゃ)、という三つの類型を区別できる、というわけですね。
相国寺は、都のど真ん中に坐禅道場を築いたわけですが、それは足利義満が、政治の中心に身を置きつつ、隠遁願望を抱きつつも、宗教とのかかわりをもちたいと考えたからなのですね。
おそらくこれは、義光にとって、自分の精神のニーズに基づくだけでなく、しだいに、現世での職業を通じて仏道を修めたいという、現世内宗教への関心とニーズが高まったことに対する、社会的な対応でもあったでしょう。
これは、ウェーバーが論じる初期のプロテスタンティズムの実践と、パラレルになっていると思います。日本の中世、室町時代には、あまりすぐれた僧侶が生まれず、その意味で仏教は世俗化して衰退したのだ、と言われますが、実際には、日本中世の仏教は、世俗化して弱まったのではなく、世俗の人々の家業を仏道と一体のものとして捉えるという、積極的な存在意義があったわけですね。
もちろんこうした世俗社会のニーズに応じる宗教は、結果としてその精神性を弱めていくこともあったでしょう。室町時代の仏教は、「職業仏道論」を生み出し、世俗社会の宗教化と同時に、経済の活性化をもたらしました。しかし当時の仏教による経済の活性化は、プロテスタンティズムのように、近代化を推進するための原動力にはなりませんでした。ただそれでも、日本における近代化の前史として、改めて職業仏道論を位置づけることは、重要であると思いました。