■ポーコックとオークショットの相克
岩井淳/竹澤祐丈編『ヨーロッパ複合国家の可能性』ミネルヴァ書房
佐藤一進さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
歴史家のポーコックは、ブリテン人としてのアイデンティティを重視して、イギリスが1973年の段階で、ECに加盟しないほうがよかった、と考えたのですね。そしてそのような関心から歴史を叙述し、また「主権」の概念を規定しているのだと。
ポーコックによれば、主権とは、「起源、すなわち、その権威や正統性の淵源と持続を確認し、ならびに、それが自らの結びつけるナラティヴを構成する要素としての重要な出来事や経緯を確認する」という、そういう機能を担っているのですね。
このようなポーコックの観点からすれば、ECのような歴史の厚みのない超国家機関に、国の主権の一部を移譲するということは、ありえないのでしょう。厚みのあるナラティヴを構成できないですからね。
しかしオークショットは、実はこのような歴史叙述の方法には反対で、というのもこのようにアイデンティティのナラティヴという関心から歴史を叙述すると、降霊術のような仕方で過去を見るようになってしまうからだというのですね。
歴史の起源探しは、歴史叙述の方法としては望ましくない。歴史の起源探しは、それ自体が「実践」であり、実践哲学の観点から正当化される必要がある、ということでしょうか。オークショットであれば、ECのような機関を新たに構築して正統化する際に、理論ではなく実践知が重要であるから、それほど理論的に構想する必要はない、というかもしれません。主権の概念を、歴史のナラティヴから解放しつつ、しかし実践知に裏づけられた仕方で確立するためには、何が必要なのか。それが問題であるように思いました。