■コミュニタリアン経済学の注目すべき成果
池田憲昭さま、本書を日本語に訳していただき、ありがとうございます。
とくにこの本の最後に、体系的なアンケートが載っていて、これが刺激的でした。
例えば、「問い1」は、「経済活動の上位目標は何であるべきか?」であり、答えの選択肢として、「上位目標として明確なものはないので、GDPを目標にする」「資本の増殖がすべての経済活動の上位目標である」「公共善の増殖がすべての経済活動の上位目標である」という三つが示されます。
しかし、自由主義や他の多くのイデオロギーの立場は、経済活動の上位目標が、「社会や文明の繁栄」であると考えます。これは「公共善」という目標とは区別される基準です。ある特定の善を固定して目標にするのではありません。新たな目標が生まれる可能性を残して、それを探求するに値するものだと考えます。
とはいっても、おそらく本書の立場も、これと同様に発想するのでしょう。何が公共善の目標であるのかについては、オープンにしておいて、民主的に決めればよいと発想するのでしょう。その限りでは、自由主義やその他のイデオロギーと両立すると思いました。
いずれにせよ、一国の経済目標を民主的に明確に固定することは難しいですね。
そこで本書は、「コンベント」という、いわば「ミニ・パブリクス」を作って議論し、経済目標を確定するという実践に可能性を見出しているのだと思いました。
「問い4」以降は、具体的な問題に即して問いが立てられていて、興味深いです。
それぞれの問いの回答の一つの目は、「パブリックソルーション」と名付けられていますが、これは多くの場合、「リバタリアン」の立場です。これに抵抗するかたちで、「オルタナティブ」の選択肢がそれぞれ提示されています。もっとも現実の各国政府の選択は、すでにリバタリアンではなく、ある程度までオルタナティブを採用しています。 現実的なオルタナティブの基準は、例えば、社会や文明の繁栄という基準であり、そのような観点から各国政府は、相続税などについて、一定の制度を設けています。「私的所有は道徳的に悪いから制約すべきである」という公共善の立場ではなく、制約した方が、文明が繁栄する。だから制約する、ということだと思います。
しかし公共善エコノミーは、このような発想が不十分であると考えるのでしょう。
とはいっても、私的所有はどこまで道徳的に悪いのかについて、公共善の立場には、明確な基準があるわけではありません。民主的に決めるべきだということになると思いますが、私は、いくつかの倫理的立場を分けて、複数の善ないし倫理の基準で、物事を分析した方がいいと思っています。
拙著『経済倫理=あなたは、なに主義?』では、倫理の立場を16に分けています。公共善という一つの言葉で表すのではなく、リベラル、平等主義、保守主義、などのさまざまなイデオロギーの観点から、オルタナティブを複眼的に捉えて議論する、という発想です。というのは、目標は議論すれば一つに絞れる、というわけではなく、つねに拮抗する立場からの批判が出て、絞れないかもしれない、あるいは絞ったとしても、また変更せざるを得ないからです。
いずれにせよ、この本のアンケートは体系的で、とても興味深く、オルタナティブとして挙げられる選択肢が、どれも練られています。また、本書の第七章以下で、事例と実践の方法が鮮やかに描かれています。これらはこの本の魅力を高めているでしょう。
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【本書の誤植】について、訳者の池田様より教えていただきました。
「本の最後のアンケートですが、誤記がありました。問い21から24が同じ質問になっていました。
下記、その修正です。6月に予定の第2版で正す予定です。
P248
問い22: 毎年享受・消費可能な地球からの贈り物は、個々のエコロジカルな人権としてのバイオリソースに、どのように分配されるべきか?
問い23: 自然には、どのような保護権が与えられるべきか?
P249
問い24: 誰が貨幣システムと金融システムを形成するべきか?」
また、著者のフェルバーのYouTubeは、以下のサイトからアクセスできます。
https://www.ecogood.org/what-is-ecg/ecg-in-a-nutshell/