■宗教法人を正当化する論理
田中滋編、相国寺教化活動委員会監修『国家を超える宗教』東方出版
田中滋さま、相国寺委員会の皆さま、ご恵存賜りありがとうございました。
宗教法人というのは、国家が考える公益性の観点から免税されるのではなく、「信教の自由」という自由の観点から、国家によって強制されない自由な活動を保証される。そのように考えるほうが妥当なのでしょうね。
もし「公益性」の観点から、例えば公益法人と同じような資格をもった法人として、宗教法人の活動を理解するなら、瀧水に打たれる修行をしているだけで社会にはまったく還元されないような活動を行っている宗教法人は、そもそも公益性がないということになってしまいます。
もちろん宗教は、歴史的にみればそのような脱世俗のための修行を組織化することで、結果として、世俗の公益にも資するようなさまざまな文化活動を生み出してきました。そうした歴史的な経緯に理解を示すなら、どんなに公共性がない宗教でも、その帰結として公益性をもたらす可能性を期待できますね。
現在の個々の法人の活動において、どんなに公益性がなく見えたとしても、宗教全体の(あるいは2万以上もある宗教法人全体の)意義は、長い目で見れば公共文化あるいは文明を創り出している。
こうした発想で宗教法人を正当化する論理は、啓蒙主義的な合理主義の発想とは異なります。そこに何か、進化論的な合理主義の発想が必要かもしれません。そんなことを考えました。