シノドス・ラボの名刺ができました リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 6月 15, 2017 芹沢さま、シノドス・ラボの名刺を作成・発注していただき、ありがとうございました。 ホームページと同じコンセプトで、デザインにこだわりがあります。 http://synodoslab.jp/ このセンスに負けない成果を出したいです。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
■「天」と「神」の違いについて 6月 23, 2017 橋爪大三郎/大澤真幸『げんきな日本論』講談社現代新書 橋爪大三郎さま、大澤真幸さま、ご恵存賜りありがとうございました。 天を祀るのと、神を祀るのとは、どう違うのか。 天を祀る場合ですが、天は「祖先」ではありません。 しかし神を祀る場合、その神が「氏神」であれば、祀る人の祖先が祀られる神になる。それは自然な紐帯であり、絶たれることがありません。 天皇家も、アマテラスとか、その系統の「神」を祀っていて、それを祖先だとみなしている。そうだとすると、神との関係は切れていないことになる。神との関係が切れていないとすれば、その正当性を否定する革命はきわめて起こりにくいですね。 ではなぜ、日本に「天」がないのでしょう。 もともとあった血縁関係を超えて、大きな国家・帝国を作るためには、血縁関係とは無関係の原理が必要です。 それが「天」です。天との関係で、皇帝は皇帝になるわけです。皇帝は、由緒正しい家柄だから皇帝になれたのではなく、「天命」によって皇帝になる。 ところが日本の場合は、 カミは、どこかの氏族と特別な関係をもち続ける。オオキミはやがて「天皇」と呼ばれるようになりますが、「天」との関係は希薄です。オオキミは、ランクの高い氏族であって、血縁的な共同性の原理を脱していないのですね。 続きを読む
■リップマンは新自由主義の立役者 11月 08, 2024 山脇直司『分断された世界をつなぐ思想』北海道大学出版会 山脇直司さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。 アメリカ発の公共哲学は、リップマンとデューイにさかのぼることができるのですね。とくにリップマンは、新自由主義の初期の立役者でもあり、関心をもちました。リップマンに関する研究は、もっとあってもいいと思います。 リップマンは、岩波文庫で読める著書、『世論』(上・下)で知られています。この本は 1922 年に刊行されました。ではその後、リップマンはどんな本を書いたのでしょうか。 リップマンは、 1928 年に『幻の公衆』を書きますが、この本が邦訳されたのは 2007 年なのですね。遅いですね。 1934 年に刊行された The Good Society は、翻訳がありません。 1955 年に刊行された『公共の哲学』は、 2014 年に邦訳されています。こちらもずいぶん遅いですね。 つまりリップマンは、 21 世紀になるまで、日本でほとんど紹介されていなかったのですね。これは岩波文庫の一冊になった著者としては、異例なほど、研究されてこなかったということでしょう。なぜでしょう。 おそらく 20 世紀の日本では、リベラリズム(新自由主義を含む)と公共哲学に対する関心が、アカデミズムにおいて、ほとんど湧かなかったということなのでしょう。しかしリップマンは、知性史の観点から、重要な人物であると改めて思いました。 続きを読む
■ウェーバーの「権力」概念を乗り越える 5月 09, 2024 橋爪大三郎『権力』岩波書店 橋爪大三郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。 これは社会学の理論的な中心問題を、ストレートに論じた本ですね。驚きです。理論は、若いうちに構築しないとダメだという通念が、吹き飛びました。 最も重要で中心的な議論は、ウェーバーの権力の定義を、いかにして乗り越えるか、という理論的課題なのですね。 ウェーバーの定義:「権力とは、ある社会関係のなかで、自らの意思を、たとえ抵抗があろうとも押し通すことができるあらゆる機会のことをいう。この機会は、何に基づくものでもよい。」 (162) しかし権力をこのように定義すると、例えば、企業に権力はあるのか、という問題に対して、「権力はある、ただしこれこれの条件(社会関係)の下で」という条件がつくだけでなく、「権力はない、ただしこれこれの条件(社会関係)の下で」という条件も付く。 「たとえ抵抗があっても押し通すことができる」かどうかは、さまざまな価値の観点によって、異なった評価になるでしょう。実際に抵抗があるとすれば、権力の認定は、事実認定できます。しかし、実際に抵抗がない場合に、「たとえ抵抗があっても押し通すことができる」と、どうやって認定するのでしょうか。いろいろな解釈が成り立つでしょう。これはつまり、権力の存在は、かならずしも事実認定の問題ではない、ということですね。 いずれにせよ、そこにおいて想定されているのは、権力が作用すると、相手は自由ではなくなる、という前提です。ところがこの前提も疑わしいですね。権力が作用すれば、人は自由ではなくなるのか。そんなことはないですね。人を自由にするような権力作用も、あるはずです。 ウェーバーの定義は、十分ではない。そこで橋爪先生の定義は、・・ 「権力は、人が人を従わせること、である。」 「権力は、人が人に従うこと、である。」 この二つのうち、前者のほうが根本的だというのですね (192) 。 私が思うに、この定義のメリットは、規範理論の観点からみて、自由な社会を作るための正当な権力の作用を、論じることができるという点です。 ラディカルなリベラルは、あらゆる権力と権威を批判して、権力作用のない社会、権威のない社会を理想とします。しかしこれは不可能であり、真っ当 続きを読む