シノドス・ラボの名刺ができました リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 6月 15, 2017 芹沢さま、シノドス・ラボの名刺を作成・発注していただき、ありがとうございました。 ホームページと同じコンセプトで、デザインにこだわりがあります。 http://synodoslab.jp/ このセンスに負けない成果を出したいです。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
毎日新聞のインタビュー記事につきまして、訂正します。 2月 22, 2026 毎日新聞のインタビュー記事につきまして、訂正します。 先日、小生が受けた毎日新聞の インタビュー記事 で、 私は重大なミスを犯してしまいました。[→すでに訂正していただきました。] 皆様、大変申し訳ありません。 以下、その経緯を記し、訂正します。 私は毎日新聞のインタビューで、高市早苗首相には「小カリスマ」の特徴があると答えました。 その後、新聞記者より、「小カリスマ」とは何か、と質問を受けました。 私は次のように、この言葉の定義を答えました。 "多くの人を引きつける力のある人、という意味です。 これには、人々がそのような人を待望している、という条件が加わります。"と。 すると、新聞記者より、小生へのインタビューを文字化するにあたって、 次のような文章をご提案いただきました。 "高市早苗首相は、宗教的指導者や英雄に見られる非日常的な力を持ち、人々もそのような人に救済を待望する「小カリスマ」だ。"と。 しかし私は、この文章はおかしいと思いました。誤解を招きやすいと思いました。 高市早苗と宗教的指導者/英雄(カリスマ)を同一視しているようにも読めるからです。 そこで、次のような修正案を示しました。 "高市早苗首相は、未来を語るリーダーだ。非日常的な力をあやつる「小カリスマ」の特徴がある。" そして紙面版では、この文章を採用していただきました。 しかし、なんと私は、こともあろうか、勘違いしていたのです。 Web版もこのように修正されるだろうと想定して、Web版の記事の文面を修正しなかったのです。結果として、Web版の記事では、修正されていません。[→その後、訂正されました。] これは私が、しっかり校正しなかったミスであります。 大変申し訳ありません。 新聞記者よりご提案いただいた文章は、私が高市首相を支持している印象を与えますが、しかし私は支持していません。 私が「小カリスマ」という言葉を用いたのは、 あまくでも社会学的な分析の観点からであり、 だからこそ私は、「小カリスマ」の定義に、英雄などを含めず、また、 「人々がそのような人を待望している、という条件が加わります」と加えたのでした。 私は、高市早苗を支持したり、まして魅了されているのではありません。 しかし校正段階で、大きなミスを犯してしまいました。 毎... 続きを読む
■現代リベラリズムはどこへ行く 8月 04, 2026 宇野重規 / 加藤晋 / 井上彰編『リベラリズム 基礎からフロンティアまで』東京大学出版会 執筆者のみなさま、ご恵存賜りありがとうございました。 リベラリズムといえば、ロールズの『正義論』や『政治的リベラリズム』などが有名です。本書はこうした内容に加えて、最新の議論を紹介しています。 現代のリベラリズムは、「自由」ではなく、「正義」を問題にしている。なぜ自由よりも正義のほうが重要なのか。そしてまた、自由や民主主義よりも「正義」のほうが重要なのか。これは、政治哲学の根本的な問題ですね。 J.S. ミルは『代議制統治論』で、「複数投票制」を提唱しました。まずすべての人に、一人一票を保障する。そして、高等教育の学位を保持している人や、専門職に就いている人には、追加で一票を与える。これはたんなる民主主義ではなく、能力主義(メリトクラシーではなくエピストクラシー)を反映した民主主義です。 ミルは、「質の高い効用」をもつことが、功利主義的な意味で「快楽の増大」であると考えました。ミルのこの考え方は、リベラリズムなのかどうか。「正義」の観点からいえば、リベラリズムではありません。しかし「自由」の観点から見れば、リベラリズムである、と言えるでしょうか。 民主的な議論の手続きと多数決は、それをうまく組織化すれば、よりよい政策を正当化できます。しかし、民主的に議論したとして、人々の正解率が、ランダムな正解率よりも低い場合は、どうでしょう。(この問題の立て方が間違っているでしょうか。) 民主主義は、多数決の政治が暴走しないために、リベラリズムのいう「正義」の理念によって、制約を受ける必要があります。また民主主義は、それがよりよい解答を導かない場合には、エピストクラシーによって補われる必要があります。このエピストクラシーは、ミル的な意味で、リベラリズムの一つの形態と解釈できるかもしれません。 この他、グレゴリー・マンキューのエッセイ「トップ 1% を擁護する」についての紹介があります。 N. Gregory Mankiw (2013) “Defending the One Percent,” Journal of Economic Perspectives, vol. 27, no. 3, S... 続きを読む
■美徳と貧困とリベラリズム 10月 02, 2026 寺尾範野『貧困に抗うリベラリズム イギリス福祉国家の思想史』慶應義塾大学出版会 寺尾範野さま、ご恵存賜りありがとうございました。 これは粘り強い、新たな思想史の達成だと思います。 19 世紀のリベラリズムは、イギリスで「新救貧法」をめぐって議論を展開しました。その一方で、 T.H. グリーンは、新しい内容の自由主義思想を展開します。そしてグリーンの思想を継承する形で、 20 世紀には「ニュー・リベラリズム」が展開され、戦後のシティズンシップ論へと継承されていきます。本書はその流れを追っています。 そして最後に、本書の思想的スタンスが示されます。 「第二次世界大戦後のイギリスと同様に、いやそれ以上に、今日において「道徳的であること」や「卓越」について語ることは、「きれいごと」として片づけられるか、あるいは特定の価値に基づいた生き方を強要する言説になりうるとして警戒される傾向にある。・・・だが、現代リベラリズムが目指す「公正な社会」が、誰も取り残さず、誰も排除しない「福祉社会」を意味するのであれば、そこには貧困問題があってはならないはずである。・・・今なお残る貧困問題を解決するにあたり、「市民」一人ひとりの社会保障と地域福祉へのコミットメントが求められるという状況に違いはないであろう。社会的リベラリズムの思想が現代の私たちに問うているのは、私たちの貧困問題に対する、私たち自身の道徳的なシティズンシップなのである。」 (286) 戦後のリベラルは、「市民の美徳」を求めない、ロールズ的な再分配をよしとする立場 = 中立的リベラリズムになりました。しかしそれはおかしい、というのですね。ロールズを継承して、卓越を警戒し、中立的なリベラリズムをよしとする政治理論は、 Quong (2010) liberalism without perfectionism によって展開されています。 現代のリベラルにとって問題は、この中立的なリベラリズムを克服して、ロールズ以前の伝統に戻り、美徳や道徳的なシティズンシップとの関係で、貧困問題を捉え直すことにあるというのは、その通りだと思います。 では、新たに美徳 = 卓越主義 (perfectionism) を含んだ自由主義思想を展開するには、どうすればいいのか。この問題は、 Qu... 続きを読む