■自由とは子どもの視点を持つこと
濱真一郎『バーリンとロマン主義』成文堂 濱真一郎さま、ご恵存賜りありがとうございました。 ゲルツェンは大著『向こう岸から』で、次のように問いました。ある世代は、将来の世代のために犠牲になってよいのか、と。もし歴史が計画をもつのであれば、あるいは台本をもつのであれば、それは退屈なものになってしまう。それに適わないすべての関心は、ばかげているように見えてくる。しかしそのような超越的な観点から私たちの生活や人生に意味を与えるということは、幻想であると。 「子供は成長するから、大人になることが子供の目的だと、私たちは考える。もしも私たちが進歩の目的だけを考えるなら、すべての生の目的は死ということになってしまう。」 自由を擁護するためのこの論理は、つまり、私たちは子どもで、まだ成熟していないという自覚をもつということ、そして子供のうちに遊んでおく、それがどの時代にも必要だ、ということですね。 私はこの論点を深めることができると思います。ある意味で、自由とは、子どもの視点に特権的な意義を与えることである。子どもの意見表明を、社会において特別な仕方で組み込み、確保することである。そういう構成的な制度を、自由主義の社会は求めるべきで、これはいろいろな場面で新しいアイディアを与えるように思います。