■日本人は12歳の少年





井上達夫/香山リカ『憲法の裏側』ぷねうま舎

井上達夫様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

連合国軍最高司令官のマッカーサーが解任されたとき、彼がある公聴会で語った日本人観は、有名です。アメリカ人は成熟した45歳の熟年であるのに対して、日本人は12歳の少年である、と。
 このマッカーサーの発言は、傲慢な軍人のたんなるたわごとであり、一蹴してかまわないでしょう。けれども日本人の政治的な成熟度についていえば、現代においてもまだ成熟には程遠い。その一例が、左派の人たちの憲法に対する態度(護憲のみで改正論議や国民投票そのものを忌避する態度)である、というわけですね。
 カトリックの国、アイルランドでも、憲法で離婚が認められるようになったのは、1995年の国民投票においてであり、それまでは認められていなかったわけですから、憲法を変えるという政治の手続きは、保守的な文化風土の下では、かなり難しいのでしょう。
 それでもやはり、日本で自衛隊を違憲とするのか合憲とするのかについての憲法解釈、ないし憲法そのものについては、国民投票で明確にしたほうがいいというのですね。これは賛成です。
 日米安全保障についていえば、アメリカは海外における世界戦略の拠点たる日本を、ほぼただで日本に提供してもらってきた。在日米軍駐留費の75%は日本負担である。こうしたアメリカの態度に対して、日本は日米安保の現状を見直したいと迫るべきである。それが大人の交渉術である、というわけですね。けれども憲法九条があるせいで、日本政府はアメリカと対等に渡り合うことができない、というのが戦後日本の悲しい現実政治であったと。
 ところが安倍政権になって、解釈改憲を通じて、これまでのような「九条」をカードとする政治のやり方を変えた。しかしそれは、アメリカに対して日本の主体性を示すというよりも、アメリカがはじめる軍事行動に自衛隊を(地域限定を外して)参加させるというもので、軍事的な対米従属構造を強化するものになっている。これはおかしい、むしろ日本はアメリカと対等な外交関係を築くべきだ、ということですね。
 この日米安全保障に関する安倍政権の戦術は、しかし、解釈改憲によって軍事的な交渉の対等性を手にしつつも、それをいったんわきに置いてアメリカに協力するという、二面的作戦的なものでしょう。外交上のカードを多く手にすることに資するものでしょう。いずれにせよ、アメリカと日本が軍事的に対等な関係を築くとすれば、日本はそれなりに軍事費を増大させる必要があり、そのことに対して国民が大人の判断をすることはできるのか。日本人は、軍事的な危機感に欠けている、というのは、かつて私の指導教官だった鬼塚先生が1980年代後半に力説されていたことでした。
 日本人は、この日本という国を軍事的にどう守るのか。それをストレートに考えてストレートに憲法で表現しようとすると、しかし今度は怖くなってしまう。怖いので議論を避けようとする。実際問題として、日米同盟を離れて軍事的に自立できるはずがない。やはりアメリカの軍事力を当てにしよう、というのが現代の日本人の自画像でしょう。日本人の「自信のなさ」といえばその通りだと思います。

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