■丸山眞男よりも山本七平のほうが日本の全体主義の本質を捉えていた





橋爪大三郎『丸山眞男の憂鬱』講談社メチエ

橋爪大三郎さま、ご恵存賜りありがとうございました。

 丸山眞男と山本七平を比較すると、日本の全体主義の本質的な問題性を捉えたのは、山本であり、丸山は論点を逸している、というのですね。これは政治思想史上の重要なテーマに切り込んだ、とても興味深い考察だと思います。
 問題は、山崎闇斎の闇斎派をどう位置づけるかですね。丸山は、学園紛争の嵐が吹き荒れたあとに、山崎闇斎について長文の論稿を書いているけれども、それはこの学派の独自性や本質を理解するものではないし、軽視しているようにみえる。
 闇斎派は、日本に朱子学を導入します。しかしその際、山崎とこの学派の主流派は、朱子学の中の「湯武放伐論」を退けました。これはつまり、革命を否定することを意味します。しかし山崎闇斎は、この議論を退けるにあたって、朱子学を部分的に変更して輸入したというのではなく、日本の文脈においてこそ朱子学の本来の思想が実現できると考えて、このような解釈こそが朱子学の正統な解釈である、と論じるわけですね。
 そしてこの闇斎派の朱子学の観点から、天皇を中心とする国体を正当化する思想が生まれてくる。これこそ、日本の全体主義の本質にある思想だという。全体主義批判で数々の業績を残した丸山眞男が、この山崎闇斎の思想を正当に位置づけられなかったというのは、いったいどういうことなのか。そこに何か重要な思想的意義があると思いました。

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