■功利主義の限界から自由を擁護する
若松良樹さま、執筆者のみなさま、ご恵存賜りありがとうございました。
功利主義のコアには、一人一人の効用をすべて平等に扱うように、という要請がありますね。この要請は、功利主義的に擁護できるのでしょうか。
もしできないとすれば、功利主義はすでに「ある種の正義(公平性)を基底的に想定する」のであり、すでに正義論を前提とした議論ではないでしょうか。
いや、そうではなく、「一人ひとりの効用をすべて平等に扱う」ことが望ましいかどうかも、なんらかの功利主義的な原理によって決まるというのであれば、この正義原理を外した功利主義の規範理論もありうる、ということですよね。
さらに言えば、一人一人の効用をどのように計測するかについては、いろいろな考え方がある。具体的な政策に即して効用を計測する場合、そこにはさまざまな前提条件が持ち込まれるでしょう。その際にどういう前提を持ち込むのかということが争われるわけであり、功利主義以外の原理を要請することが多くなるのではないでしょうか。
若松論文が指摘するように、結局、功利主義的に考えても、帰結が不確実で、さらに小以来の自分の選好も不確実だという場合には、自由を優先する、ということになるでしょう。これはつまり、功利主義の限界から自由を擁護する議論であり、功利主義の逆襲ではないように思いました。