■歩けば思索できる、立ち止まれば思考も止まる
レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』東辻賢治郎訳、左右社
東辻賢治郎さま、左右社さま、ご恵存賜りありがとうございました。
「歩く」ことをテーマとして思想史を語るというのは、興味深い取り組みですね。例えば環境運動団体のアメリカのシエラ・クラブは、ジョン・ミューアという旅する思想家の運動からはじまっている。
そうした旅の源流をたどると、巡礼の旅によって聖なるものに近づく、というテーマにいきあたります。
18世紀になると、自然は、美的に称えられる対象となりました。啓蒙主義や科学主義の興隆とともに、「自然」の価値が再発見されるのですが、やがてその自然は、19世紀になると、中産階級の人たちにとっての「宗教」になる。
ワーズ・ワースは、イギリスの湖水地方に生まれ育ち、その土地の風景や自然をたたえて詩に残しました。するとその詩に影響されて、イギリスの中産階級のひとたちは、まるでエルサレムを巡礼するかのように、ウェストモアランドを旅するようになる。
自然の中を歩くことが、「善き行ない」であるという意味を帯びてくるわけです。テーマ・パーク化されたショッピング・モールを歩くのではなく、自然の中を歩く。それが公共性を帯びた価値を形成していくということですね。
かつてルソーは『告白』のなかで、「わたくしが集中できるのは歩いているときだけだ。立ち止まると思考は止まる」と書きました。歩いて考えることは、このように自然に帰る思想の精神史を形成しているというのは、じつに興味深いです。