■ユダヤ人大虐殺を正当化する論理とは

 




 

森下直貴/佐野誠編『新版 「生きるに値しない命」とは誰のことか ナチス安楽死思想の原典からの考察』中央公論新社
 

佐野誠さま、ご恵存賜りありがとうございました。

 

 本書は20年前に刊行された旧版に、一部加筆した新版です。

大変興味深く読みました。そしてとても重要な貢献であると思います。

 まず、安楽死を権利として認めるかどうかという問題と、相模原事件のように障害者を負傷・殺害する事件とは、やはり分けて考える必要があるでしょう。「ある個人が生きている価値」を判断するのは、誰なのか。死んでもよいと判断するのは誰なのか。それが自分なのか他人なのかでは、道徳的な意味が異なるでしょう。

 ナチスの場合に問題になるのは、この判断主体を、ナチスのような権力にゆだることの是非です。

 本書にその翻訳が収録されている『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)は、刑法学者のビンディングと精神医学者で精神科医のホッヘの共著です。しかしこの本がナチスのユダヤ人虐殺に、どのように影響を与えたのか。それはじつは不明であるというわけですね。

 ただ、ヒトラーの侍医であったテオドア・モレルは、この『解禁』を利用して、安楽死に関する報告書を書いています。しかも実際に、ナチスの安楽死計画に大きな影響を与えました。

 問題は、現在、モレルが書いた報告書が存在せず、その草稿があるだということですね。すると、その草稿に何が書かれていたかが問題になりますが、これはしかし、草稿なので、モレルが個人的にどのように考えたのかが分かるとしても、最終的にどのような報告書となったのか、分からないのですね。

 私の感想は、本書で紹介されている報告書の草稿の一部は、ユダヤ人の虐殺を正当化するようには見えません。「生まれつき・・・極めて重度の肉体的・精神的障害をもつがゆえに、継続的な介護によってしか生活を保持しえず・・・」という文章は、当時の状況としても、ユダヤ人全般に当てはめることはできないでしょう。

しかしその後に続く「奇形であるためにその容姿が世間の憎悪の的となるような」という部分は、直前の文章とは独立してその意味を受けとめてよいのだとすれば、ユダヤ人の虐殺につながる表現であるかもしれません。こしかしそのような読み方が正しいのかどうか。別の読みとしては、モレルはユダヤ人虐殺を正当化するようなストレートな文章を残していない、ということになります。このあたりは、資料の読み方に依存すると思いました(135-136)


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