■安倍晋三首相のコロナ対策スピーチを添削する

 




 

橋爪大三郎『パワースピーチ入門』角川新書

 

橋爪大三郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

 とても痛快な本であり、一気に読むことができました!

 クオモNY知事、福沢諭吉、チャーチルなどの、いろいろな名スピーチがでてきますが、福沢諭吉は、それほどうまかったわけではないのですね。

 最も参考になったのは、安倍晋三首相が昨年、新型コロナ対策に際してスピーチした文章に対する橋爪先生の添削です。

 安倍首相は、現在の菅首相に比べれば、格段にスピーチがうまいと思います。しかしそれでもコロナ対策に際して、あまりよいスピーチ・ライターに恵まれなかったようですね。

 本書では、安倍首相の140行のスピーチ原稿を、77行にまで減らした修正案Aが示されます。そしてさらに練った、43行にまで減らした修正案Bが示されます。このように、政治家のスピーチを添削して、簡潔な文章にして表現する、というのは意義深い政治活動になると思いました。

 私たちがスピーチをするときは、とにかくまず、自分で原稿を書かなければならないのですね。そしてその原稿を、自分がスピーチ・ライターになったつもりで書き直すのですね。そのような作業が必要というわけですね。

 それにしても、安倍首相がスピーチしたあとの質疑応答で、日本は外国のようなロックダウンをしないけれども、対策に失敗したら誰が責任をとるのか、というイタリア人記者の質問に対して、安倍首相は、「たとえば最悪の事態になった場合、私たちが責任をとればいいというものではありません」と答えたと。

 これに対してニューヨークのクオモ知事は、「この決断の責任は私がとる。・・・もしも不満だったり、誰かを責めたくなったりしたら、私を責めてくれ。私以外の誰のせいでもないのだから。」と述べた。これは大きな違いですね。

 日本人は、よく「自己責任という考え方ではいけない」という言い方をします。政治家の決断に対しても、「自己責任」を要求しないのが、日本人なのかもしれません。日本人は、コロナ対策において、それぞれの人たちがそれぞれの責任を分担して対応しなければならないと発想するのかもしれません。しかしコロナ対策がうまくいかなかったら、責任をとって辞職する、という覚悟が必要ではないか。そうならないのは、日本人がそこまで政治家に責任を求めないからではないかと思いました。イタリア人記者ではなく、やはり日本人記者に、この質問をしてほしい。


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